その名にちなんで

ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』を3時間かけて読んだ。アメリカで生まれ育ったベンガル系移民二世のゴーゴリという男はニコライ・ゴーゴリにちなんで名付けられた、その彼が、進学して、改名して、数人の女と出会う半生を送るのだけれど、わたしは読…

「個別」で「固有」だった身体がそうではなくなって

流行りものをリアルタイムで享受することがあまり得意でないのは、こんなに良いと言われているものをちっとも良いと思えなかったらどうしようと世界から疎外されることへの不安を感じるからだ。ドライブ・マイ・カーもそんな怖さがあってなかなか腰が上がら…

寿司桶

日曜の明け方4時前にふと目が覚めて携帯を見たらある人からメールの返信がきていて丁寧に画像も添付されていてそれを見たら一気に打ちひしがれて、ただなんてことないその人の大事なものについてのわたしとはなんら関係のない話だったのだけれどそういった…

2秒間

カーテンの向こうに行き、下着を脱いで、椅子に座って大きく脚を広げた。膣内に冷たくて固い機械がゆっくりと入ってかき回すように動く、その間の堪えがたさと言い知れない恐怖で全身ががちがちに硬直し、ああまた今回も慣れることができなかった。渦巻く自…

明晰

自分の中に落ちる、とか、潜る、といった感覚を覚えることがあり、それは文章を書いているときが多い。ずっしりと重たく撓むやわらかい緞帳をかきわけたら何が見えるのか。そんな好奇心が原動力だったはずだけれど、近頃はそのように淀んだ深部に目を向ける…

広場

誰といるときも状況に応じて仮面を着けたり外したりしているだけなのだから、その人に映るわたしは、わたしがその瞬間にとった行為の評価に過ぎないのだと思うようにしていた。だからその評価としてかけられたことばがたとえ良いものでも、悪いものであって…

Under My Thumb

髪型を変えたのかと尋ねると貴女が可愛いから真似たのだと言われた。予想していなかったし、居心地が悪かった。私がいない場所で私のことを思い出さないでほしいと思った。 ミヒャエル・ハネケのピアニストを観た。母親との確執の話をした流れで何度か勧めら…

not moon

大江健三郎の小説に頻出する恥の感覚がとても興味深いと思っている。この感覚は、わかる。恥とは一体なんなのか。仕組みを言語化しようと努めているがどうしてもできない。向き合いきれないから羞恥を感じるのか。今日、憤りを感じる出来事があったが、どう…

バイエルのおけいこ

" data-en-clipboard="true">耳朶や乳房に針刺す寂しさを紛らすためにバス停へゆく継続の重みを知らぬ金魚ゆえゆうべのあまさを映して赤い牛乳に氷を入れてすましてた子の嫁ぎ先ミシンが2台外国の言葉の喧嘩はリズミカル自転車乗れないロングスカート・おと…

日記

" data-en-clipboard="true"> " data-en-clipboard="true"> 人間というものは、自分自身の価値について、外にあらわれたしるしを、つねに自分のために必要とする。 —シモーヌ・ヴェイユ『工場日記』 わたしはわたしであることから逃れられない。同時に、わた…

She's lost control.

頬杖をつく癖が直らない。最寄りのレンタルショップでDVD借りたらバーコードの上のところに油性ペンで書かれた「黒澤明」が二重線引かれて「成瀬」と訂正されていた。若い女が書いたような無邪気な字体だった。『女の中にいる他人』を観た。秘密っていうもの…

着脱

近頃よく通る道の中で、坂を登って右に曲がる、すると視界の隅にちらりと横切る一棟の古びたアパートにはたったひとつの部屋にも灯りがともっていない。かつて人を住まわせていた時代の姿を残したまま存在し続けているその建物は、今を進んでゆく生活の時間…

I Want More …And More

あたしは、恋人と夫を同じ呼び方で考える、あの人って言葉でね、おかしいわね、おかしくないけれど、あの人っていう言い方は、だって特別な人物を指してるわけではない、ようするに、ここにいない人のことだ、ここにいない人誰でものことだもの、それにあの…

野望

手紙に書いた言葉の殆どが手元には帰ってこないのだと、荒廃したその家の前で思った。住宅地の中を流れるささやかな川にこぼれ落ちてゆくかのように立葵や金魚草が咲きみだれ、走る人がゆきかう道中のさなかに突如としてその家は在る。外壁の塗装は剥がれ落…

ゆくえ

暑い。眩しい。発車直前の新幹線に飛び乗っていくつも県をとびこえたら、関西の電車は東京のそれと比べて個性を持っているように感じた。目的地に降りたって見渡せば緑の山が景色の到達点をぐるりと囲み、四車線もある広いアスファルトに日差しが照りつける。…

reason

そういえば、父もその大学出ていて、一浪して入ってんですけど、ばかみたいに真面目で。頭ちょー固くて。と、会話の流れで、言ってみた。ごく近しい他人のように親しみと馴れ馴れしさを端々に含めながら、何ひとつ疑問をもってこなかったふりをして、言って…

水の匂い

この本を読み終えたら家から出ようと思いながらどんどん外が翳ってゆき、最後のページをとじて一息つくと大雨が降りはじめた。そのまま膝を抱えて外を見ていれば何度も空が光り雷が落ちた音がする。雨は次第に凍った粒にかわり、停めてある車に打ちつけては…

アラン・ド

『オー!スジョン』を観て、初めてセックスしたときのことを思い出していた。いや、思い出そうと試みていた。 どうせ、考えてること同じでしょ。そんな台詞をかけられながら床に横たわったような憶えがする。肩を押されてベッドに横たえられたような気もする…

ロマン

人に興味がある。うわべにはあらわれない深い底の中にひとりきりで沈んだとき、人は何を考えて、何を決めるのか。目の前の人に対してそのことを一度でも想像すれば扱いきれないほどの好奇心に駆られる。だから、常軌を脱したような人に一度会ったなら、とた…

le dimanche

頼まれてテイクアウトをとりにいった日に早口のフランス語を話してた店員のひとたち、テーブルには開いたMacBookに字幕つきのYouTubeが流れていて眺めながら待った、かえりがけにメルシーボク、といったらびっくりするくらいの笑顔でMerci, Au revoir!と返っ…

神を失う

甘えられるのが面倒だと避けてきた類のものに、ほんの少しだけなつかれはじめているような心持ちがする七月のはじまり。鬱陶しいから自分で考えてくれよと粗悪な気持ちが芽生えつつも邪険にできなくてそれなりにかわいがってしまう。なぜってわたしが最初に…

祈り

結局のところわたしを救ってくれるのは他者ではなく、大好きだった漫画でも小説でもなく、あらゆる場所に書き残したまま忘れてきた文章なのだと思う、散々な気分のときに吐き出した言葉の粗雑な繋がりを目で追っていると、自分の輪郭をくっきりと感じ始める…

ほんとうのわたし

サッカーと青春パンクを好んでいたはずの弟に招かれ、部屋に入ると大きな本棚が据え置かれている。知らない作家の古い文庫本や、大判の画集と写真集が揃ったそれをしげしげと眺める。あんたマン・レイなんか好きなんだっけ? そう尋ねたのに答えが返ってこな…

ugjbv.

主体は行為の結果でしかないというなら、目の前の人の中に映るわたしは、わたしがとった行為の評価にすぎないのだ、というようなことを考えて、絶望する毎日。嘘ばかりついている。ここをでてしまったらよそじゃやってけないよ。そうやって釘をさされたらぷ…

Orlando

騒音の後、静けさがいっそう深まるのはなぜか、科学的な証明はまだない。だが、求愛された直後のひとりぼっちはまたひとしお身に沁みる、というのは多くの女の証言するところだ。大公の馬車の音が消えてゆくと、オーランドーはひとりの大公がどんどん、どん…

idfjb.

ここであなたのことを何度も書いていることに気づいているでしょう? もっともわたしが見ていたあなたもあなたが見ていたわたしも、それぞれが自分を映した虚像だったわけだから本当にあなたのことを書いているという自信はないけれど。自分を見ているような…

zhboa.

人間は欲深い生き物だ、とはよく言ったもので、あの人の中にはわたしの手で抱えきれないほどの欲しいものが渦巻いていることがはじめからわかっていた。誰ひとり叶えられっこない完璧な夢をすべて手渡されてしまったらたまらない。だからわざと、捨てるわけ…

xwcae.

「コーヒー」と彼女が言うのを初めて聞いたのは京都に降りた早朝だった。安い夜行バスで凝り固まった頭蓋に聞き慣れない抑揚が響いたままひっかかるように残っていた。もしかしたら北の訛りかもしれないと思いを巡らせながら、ふたりとも縁のない土地で、生…

lfhkb.

あと少し手が届けば全部がわかるのに決して到達することのない夜は時折訪れる。昨日から今朝まで夢中になって読んでいたのはウラジーミル・ソローキン『マリーナの三十番目の恋』、男とのセックスでオーガズムを得たことも女を心から愛したこともないレズビ…

egksn.

電車に乗ると隣には若い男女が座り、つい聞き耳を立てる—二人とも関西の訛りがあり、付き合ったり寝たりはしていないがお互いにそれなりの好意は持っている様子。職場の同僚か。男はしきりに寒くはないかだとか女の体調を気遣う。女は声優か何かの推し活に勤…