広場

誰といるときも状況に応じて仮面を着けたり外したりしているだけなのだから、その人に映るわたしは、わたしがその瞬間にとった行為の評価に過ぎないのだと思うようにしていた。だからその評価としてかけられたことばがたとえ良いものでも、悪いものであっても、その瞬間にどんなに心が揺れ動いても、結局わたしの本質にとってはなんの意味も持たないのだと思っていた。だから一貫性をもたなくて当然だった。あるひとはわたしを明るい女の子だというし、別の人は暗いという。ある人は冷たいというし、ある人は優しいという。そのように、わたしの役割をめまぐるしく反射する世界をどこか醒めた目で眺めていた。わたしという存在は操作できるものだと思っていた。すべてがそのような気になっていた。それでも、どのような形であれ愛されていたことがあるのだとどこかでわかっていた。そのような条件のないものが恐ろしくて享受してこなかったこともわかっていた。本当はわかっていないこともわかっていた。そのときわたしを愛していた人は、わたしのことを明るいとも優しいとも言わなかった。今になってわかる。そういった時間が存在していたことを考えると、安堵に満ちるようで、観念したような心持ちにもなる。一瞬でも愛されていた過去があるのだからどんな選択肢があっても生きることを選ぶのだろう。わたしはその人を愛していなかっただろうか。愛していないと思いながら愛していただろうか。認識の中では真実も時間も意味を持たない。この先このような愛を享受することがあってもなくても構わない。