ゆくえ

暑い。眩しい。発車直前の新幹線に飛び乗っていくつも県をとびこえたら、関西の電車は東京のそれと比べて個性を持っているように感じた。目的地に降りたって見渡せば緑の山が景色の到達点をぐるりと囲み、四車線もある広いアスファルトに日差しが照りつける。
 
兵庫は夙川まで赴いた目的は写真家・石内都の個展だった。会期終了間際に知り、どうしても観たいと思った。被爆者の遺品を撮影した〈ひろしま〉には新しく目にする作品が数点交じっていた。古い傷跡とサボテンが交互に並び、続いて萎びた薔薇ときた配置には少し驚いたけれど、じっと観ていれば水滴を弾く葉肉や鄙びて変色した花弁の質感と皺をもつ肌はよく似ている。人の身体に刻まれた歴史と植物が過ごす時間は、突き詰めれば同じなのかもしれない。
 
彼女の写真は不在を映している。そして不在を感じるということはつまり主体が存在していた時間の堆積を経験するということだ。そのひとが今はもう居ないということは、かつて—ある時点からその時までの時間を通してずっと—居たということ。朽ちかけた衣服のスナップボタンやレース、廃墟と化した遊郭の古びたステンドグラスや安っぽいモチーフの飾り窓、そういったものを観ていると、膨大な時間の質量だけがわたしの中に流れ込んできて映像になれないままフラッシュバックするような感覚に陥る。建物は、土地は、衣服は、そして母の化粧品や下着も、わたしが決して思い起こすことは出来ない記憶を沈黙のままに湛えて存在し続けている。彼女の写真を初めて観たときからずっと、その切実さの虜になっている。
 
終盤には〈Moving Away〉という連作が並んでいた。彼女が横浜を離れる際に撮った自宅や、自宅周辺の風景といった、彼女の作品には珍しい身近な風景の写真で構成されていた。そのうちの一枚は作業部屋を映したもので、壁には二枚のポスター—着崩したジャケットのポケットに両手を入れたデヴィッド・ボウイと、彼女自身の初期の個展のもの—が並んで貼られている。その部屋の写真が印象深くて、展示をすべて観終わったあとに写真集を買った。今その写真集をめくりながらこれを書いている。彼女は生まれ故郷である桐生に越したというのだから、写真集にとじこめられたこれらの部屋はもうどこにも存在しない。もうどこにもない部屋の写真を見るのは、切ない?悲しい?これは普遍的な感傷なのだろうか。それでもきっと、そこに行けば母子像を見ることはできるはずだから、次は海沿いのその土地に行きたいと思った。くるりが歌った赤い電車に揺られて行くのだろうか、それであれば誘いたい人がいるのだけれど—。
 
 
石内都を知ったのは、四年ほど前の横浜での大規模な個展がきっかけだった。もうじき関係が終わりそうなひとと連れ立って観に行き、だからこそ彼女の写真が映す不在を痛いほど感じたのかもしれない。そのひともデヴィッド・ボウイが好きだった。亡くなった翌朝、目が覚めた瞬間にもうボウイはこの世界に存在しないのだと思ったら虚無感でいっぱいになったと言っていて、それを聞いたとき、誰しもが他人の立ち入れない場所に孤独を持っているのだとわかった気がした。そのひとのことは普段殆ど思い出さないが、横浜での展示を思い起こせば記憶が連なるように解けてゆく。それでもやがて、夙川で見た揺れる向日葵や緑色を帯びた翅をもつ蝉、流れる川のせせらぎなどの思い出が塗り替えていくのだろうから、次にまた石内都の作品を観るときにはきっと、そのひとのことも思い出さないだろう。