ほんとうのわたし

サッカーと青春パンクを好んでいたはずの弟に招かれ、部屋に入ると大きな本棚が据え置かれている。知らない作家の古い文庫本や、大判の画集と写真集が揃ったそれをしげしげと眺める。あんたマン・レイなんか好きなんだっけ? そう尋ねたのに答えが返ってこないまま、目が覚めた。そうだよね、と我に帰りながら、あの本棚をもう一度眺めたい。初めて目にする作家の本を手にとってめくりたい。
 
 
白と黄色のツートーンで、中途半端に引き伸ばされたような、幼稚園バスのような造形のフォルクスワーゲンとすれ違った。休日の住宅地に忽然と現れたそれは妙にシュールで、ふと窓ガラスの中を覗き込めば定年が近づいた頃の男女と、うつむいてスマートフォンをさわる若い女。通りすがっただけでは見知らぬ家族のありようなどわからない。
 
 
ホン・サンスの新作を観た。かつて親しかった人との距離をしっかり感じながら、そっと手をにぎったり膝に手を置いたり、思いやりに満ちたさりげない接触が、たまらなかった。
 
10年くらい経ったころにはあのレベルの生活水準になっていたいなあ…と思う。本腰入れて仕事をしなければ。
 
 
失うものって、まだあるの?
 
 
あたしにとって感じがいいひとを一度推薦したら、もう一度はちゃんと仕事しそうなひとを推薦するのよ。あたしは半分は自分の会社の裏切り者、半分は自分自身の裏切り者として振る舞っているわけ。二重の裏切り者だわね。そしてこの二重の裏切りを、あたしは失敗じゃなくて、快挙だと見なしているの。だって、まだどれだけのあいだ、ふたつの顔をもっていられるのかしら? これってひどく疲れるのよ。あたしにもいつかは、ひとつの顔しかもたなくなる日がくるでしょう。もちろん、悪いほうの顔。真面目な、ひとの言うことをきく顔しかもたない日が。それでもあたしを愛してくれる?
 
 —ミラン・クンデラ『ほんとうの私』