権威や暴力や国家に抵抗する力を失くしたときのために、または誰かのために。
(随時更新する。気が向いたら感想も書きます)
2024/5/10
フェリーニの道を観て、なんで女の人生が男の付随物として食い潰されなあかんのやと思った。各所でいろんな感情を揺さぶられる映画だったから余計に。徹底的に女が主体であるというスタンスを見せてくれるケリー・ライカートが観たくなった。
しかし女はいつまで主体であることを目指し続けなければいけないのだろうか?当たり前に男の視線を通さずとも存在し、当たり前に堕落した女が観たい。うっすらとそう思い続けている。そしてその世界を書いてくれるのが松浦理英子だと思っている。