reason

そういえば、父もその大学出ていて、一浪して入ってんですけど、ばかみたいに真面目で。頭ちょー固くて。と、会話の流れで、言ってみた。ごく近しい他人のように親しみと馴れ馴れしさを端々に含めながら、何ひとつ疑問をもってこなかったふりをして、言ってみた。あーそう。俺なんか何浪しても入れないけどね。そう混ぜかえされて、そういえば父はどんな浪人生活を送ったのだろうとふと思った。
 
大学生だったある年の夏、長野の民宿で泊まりこみのアルバイトをしていたと聞かされたことがあった。同じく泊まりこんでいた数名の男たちはヒッピーまがいの生活を送っていたようで、LSDやマジック・マッシュルームがどんなふうにキマるのかを毎夜聞かされ、奇妙な気分になったのだと言っていた。その話をするときの父はいつもと変わらず淡々と波のない口調なのだけど、可笑しくてたまらないのを必死で堪えるような目をしていて、仕込んだ悪戯が成果を出す瞬間を今か今かと待ち受ける児童のようにも見えた。ごく稀にしか見ることのできない父のその表情を、誰にも言ったことがないけれど、本当はとても気に入っていた。きっとわたしにも父の笑い方が遺伝しているのだと思う。
 
初めてできた彼氏と、夜遅くに駅前を歩いていたら、会社の同僚何人かと連れ立った父とすれ違ったことがある。やべ、親、などといって咄嗟に方向転換したのだけれど、お互いが外の世界をどっぷりと纏った状態で出くわしたのは初めてだったから、気まずさと相まって世界がひらけていくような、新しい景色を見るような、新鮮な気持ちが妙に心地よかった。あのとき父は、気づいていたのだろうか、気づいていないふりだったとしたら、演技が上手すぎた。
 
父が書く文字が好きだ。硬く細い線で、縦長に引き伸ばされたような字を書く。わたしの名前は漢字二文字で構成されており、一文字目は縦横が垂直に交わる線が多いのだけれど、それは父の手によればこの上なくきっちりと、折目正しく書かれる。「秩序」という意味をもつ一文字。産まれたばかりのわたしに名前をつけるとき、父はその漢字を選ぶことを頑なに主張したという。あの日、狭い世界に絶望してふてくされたわたしを横目に延々とわたしの名前を書いてくれた父は、どういう気持ちだったのだろう。わたしは、27年間背負って生きているその一文字とまだ折り合いがついていない。
 
父が使っていた古いベースとアンプが納屋にしまわれたままだと知ったのはわたしが実家を出てからだった。頼みこんでも出してはくれなくて、未だに見せてもらったことがない。ローリング・ストーンズデヴィッド・ボウイブライアン・アダムスも父の古いCDで聴いた。
 
父は本当に、ばかみたいに真面目で頭がちょー固いだけの人物なのだろうか。彼に聞きたいことが山ほどある。わたしがもう少し腹を据えて、まっすぐに彼の目を見ることができるようになったなら父は、今まで知らなかった新しい話を聞かせてくれるだろうか。そんな日が来ればいい。