その名にちなんで

ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』を3時間かけて読んだ。アメリカで生まれ育ったベンガル系移民二世のゴーゴリという男はニコライ・ゴーゴリにちなんで名付けられた、その彼が、進学して、改名して、数人の女と出会う半生を送るのだけれど、わたしは読みながら伯父のことを考えずにはいられなかった。
 
伯父はわたしの父の兄である。還暦が近い歳で、今はニュージーランドに住み、雇われ料理人として働いている。一緒に暮らす日本人の女性は2人目の妻だ。日本に残した先妻との間には3人の子供がある。わたしにとっては従兄弟である彼らが、どこで何をしているかは知らない。
 
わたしが子どもの頃、伯父は一年に一度くらいは帰ってきてくれて、遠くて特別な男の人としてわたしの中に位置付けられていた。伯父が実家に来るときにはいつも盛大な料理が振る舞われた。父によく似た顔立ちで背格好もそっくりなのに、どこか女慣れした表情を見せるのが決定的に違うところだった。非日常の色っぽさにわたしはそわそわした。保育園の頃、母に「この家でよく頑張っている」といった言葉をかけていて、母は照れるような媚びるような、母ではない女の顔になった。軽蔑と、羨望と、嫉妬と、見てはいけないものを見てしまった後ろめたさがないまぜになってわたしの中に一気に込み上げた。
 
祖父の言葉を借りれば伯父は「高2までは真面目だったのに高3からグレちまった」らしい。酒煙草、たぶんシンナーも。それでもどこかの大学に進学して、航空会社に就職したけれど、すぐに肺を病み実家に戻ったらしい。そして料理人になって関東で働き始めた。先妻と結婚して子どもを3人つくった。わたしが小学生のときは何度か家族で遊びにきてくれて、一緒にバーベキューをした。伯父の長男はわたしのひとつ歳下で、夏休みの夜に全裸になっていて、ふくふくした柔らかそうな睾丸をわたしはびっくりして凝視した。中学生になって、どうやらいつの間にか家族を残して外国へ飛び立ったようだと知った。祖母が何度も心配するような怒ったような電話をかけていた。高校生になって「伯父さんは離婚した。新しく結婚した奥さんを連れてくる」と聞かされた。先妻との離婚にはたくさんの問題があったらしいけれどわたしは何も知らない。連れてこられた新しい奥さんは、若くて明るくてチャーミングな人だった。父も母も弟もわたしも最大限に気を遣って挨拶を取り行ったのに、祖父が途中から「こんなやり方は道理に適ってない」とか言って怒りはじめて、めちゃくちゃになった。
 
こんなふうに思い出す伯父は、彼はラヒリが書いたゴーゴリと同じく、改名をしたのだと思う。あれはいつの正月か、送られてきた年賀状に印刷された彼の名前には修正器を使った痕跡があった。元来の名前は一つの漢字で三文字の読みをするものだったのだけれど、二つ目の漢字が追加されていた。読みは変わらない。それを見た祖父は「名前、変えたんかね」と首を捻って祖母も「そうだねえ」なんてのんびり答えていた。そして伯父は、今の奥さんと結婚して相手方の名字に変えた。今の伯父には、実家に住んでいたときの名前が残っていない。
 
伯父がそれぞれの岐路で何を思って選択してきたのかわたしはまったくわからない。本当の気持ちを聞いたことがない。だけれども、わたしが東京で暮らすことに決めたとき「この家は上の子が出ていく家系なんかね」と言われて、はたと自分の感情と伯父を重ね合わせてしまった。堅実なわたしの父とはまるきり対象的で、伯父は破天荒な生き方だと誰もが言う。けれど、折々の選択は、伯父にとってはいちばん自然なものであったのだろう、そうでしかあり得ないとわたしは思う。
 
最後に伯父に会ったのは祖母の葬式だった。出棺の際に伯父は祖母の顔を撫でて「おかあさん」と言って、わたしはそれをはっきりと聞いた。伯父は何をどのように苦しかったかわからないけれど、ずっと苦しかったことは聞かなくてもわかった。
 
大学生のとき、突然伯父からFacebookの申請が届いた。アカウントを見てぎょっとした。たくさんの遊び慣れた人たちとパーティーをしている様子の写真に映った伯父は、わたしの父—堅実で真面目で冗談も言わず浮ついた言動を一切取らない父とほとんど同じ顔をしていたからだった。父と同じ顔を持つ伯父の寄るべなさをどうしたって考えてしまう。逃れられないルーツがあって、それを認められなくて、何かを求めて選択をし続ける。伯父の名前に加わった文字は「志」だった。その文字を自分自身に掲げていたい気持ちを、その切実さを、わたしは考えてしまう。