not moon

大江健三郎の小説に頻出する恥の感覚がとても興味深いと思っている。この感覚は、わかる。恥とは一体なんなのか。仕組みを言語化しようと努めているがどうしてもできない。向き合いきれないから羞恥を感じるのか。今日、憤りを感じる出来事があったが、どうしても言葉にすることができない。わたしも体制側に加担していることが恥ずかしくてたまらないから。煮えたぎるような怒りと、恥である。わたしは、怒りでいっぱいで、恥ずかしくて、声をあげることができない。
 
救急車とパトカーが数台、歩道にとまってた。警官に囲まれた男が座り込んで、何か書類を書きつけていた。赤いランプをきらめかせながら不穏をふりまくパトカーを、ここのところ頻繁に見かける。そのたびに胸の底からつめたく湧き起こるような恐怖を感じる。恐怖とは生理の根源からにじむ感覚のようでいて、実は文明に裏づけられた感覚ではないのか。赤い光が怖い。また弱った大水青を見つけた。はちきれそうに膨れて白くやわらかい腹を見たら、怖くて、さわれなかった。虫の硬さや柔らかさが怖いのはなぜか。虫の造形も、質感も、なにもわたしに及ぼさないのに、怖くて、怖くてさわれない。紐で繋がれた愛玩犬とすれ違った。鼻先が腓に触れて、背筋から頭のてっぺんまで、ぞわっとした。あたたかい生き物は電流にも似た力をもっている。ふれてしまえば、脈拍と、呼吸と、血の流れが、熱量に変わって伝わってくる。そのことも、あたたかいのに、ひたひたと神聖で、畏怖すべき事象。