明晰

自分の中に落ちる、とか、潜る、といった感覚を覚えることがあり、それは文章を書いているときが多い。ずっしりと重たく撓むやわらかい緞帳をかきわけたら何が見えるのか。そんな好奇心が原動力だったはずだけれど、近頃はそのように淀んだ深部に目を向ける時間も余裕もなく、ただ現実に放り出されて、すがるように、事実を処理し続けていて、それらの現実だけがただ茫洋と目の前にひろがってゆき、有象無象のものを切り捨てたり獲得しながら、なんとか進んでいかなければならない。疲れたとか投げ出したいとか思うこともあるけれど、きっとそのような手段は取らないのだと思う。耳がつんざくような音をイヤホンから流し込んで、強い酒を煽った瞬間のようにかっと眼球の奥が冴えて、27歳という年齢がやはり何かひとつの区切りだったのだと、過ぎた今はその後を生きてゆくしかないのだと、明確にそう思う。ロックスターとして大成してないのに27歳で死んでもかっこつかないじゃん、そういったその人もわたしと同じく歳を重ねていて、転職、昇進、そういった人生に放り出されて生きている、そのことが救いにもなっていて、だけど、生きることを選べるようになってしまった、やりたいこともあってもうあとには引けない、前を見ていくしかない、そのようなわたしの中では確かになにかが死んでしまったという感覚があり、あとは、殺伐と生きながらえて大人になっていくしかない? やりたいことがある。そう話した。こんなにもやりたいのだと気づいたら驚いた、同時に、他人の言葉で肉付けされるその淡くふんわりとした計画はちっとも夢物語ではなくて、嬉しくて、ささやかな死をつきつけられる。やりたいことができることに結びつく感覚に不慣れなままのわたしを手放さなければならない。何も所持できなくて、何にも手をのばせなくて、畳にうずくまって泣いていた中学生のわたしをどこかに置いていかなければならない。そうなったら、二度と自分には甘えられない。