2秒間

カーテンの向こうに行き、下着を脱いで、椅子に座って大きく脚を広げた。膣内に冷たくて固い機械がゆっくりと入ってかき回すように動く、その間の堪えがたさと言い知れない恐怖で全身ががちがちに硬直し、ああまた今回も慣れることができなかった。渦巻く自責と恥、想起する強引な接触と、あのときに見ないふりをした感情と。終わりましたよ、そういわれて異物が抜かれれば立ち上がる。きっかり2秒間、視界が斑になってぱちぱちと瞬く。さっと世界が遠のいて戻った。痛かったですか?緊張?それならいいんですけどね。セイコーツーとかありますか?
 
待合室で座ってじっと膝の上に手を置いて、肩が内側に丸まってしまう。涙をこらえていた。このうえなく自分の存在に価値がないように思えてならなくて、惨めだった。痛くはない器具の固さのせいか、性交痛という言葉の鋭利さか、もっとひどいやりかたを繰り返していたことを防御のように思い出す癖がついているからか。この一連の結果はわたしの健康を証明するものとして、小さくつるつるした紙片となってカルテに貼り付けられていた。よく見ることもできない。この検査はいつもひどく怖い。
 
 
反抗期終わりだと思った瞬間があった。明確に反抗期に入ったと思ったのは22歳だったから5年間は続いたことになる。やるせなくて何をやってもだめで必死でばたあしの練習続けるような20代前半だった。もうきっと家族に会っても調子を崩したりしないだろう。調子を崩したとしても立て直せるだろう。わたしは要領がいい。服を脱ぎながらネバーヤングビーチを聴いたり、二階堂奥歯滝口悠生を読んでいる。乗り換えの一駅前で降りてしまって、ホームには何もなくて、頭の中が静まった。入浴剤のむせかえるようなサンダルウッドの匂いが立ち込める。言葉の手触りがほしい。