甘えられるのが面倒だと避けてきた類のものに、ほんの少しだけなつかれはじめているような心持ちがする七月のはじまり。鬱陶しいから自分で考えてくれよと粗悪な気持ちが芽生えつつも邪険にできなくてそれなりにかわいがってしまう。なぜってわたしが最初に選んだのだから。ひそやかなひとひらの責任がずんと重さを増す。あれはきっと薄々わかっているからこちらへ寄ってくるのだ。なんて鬱陶しくて愛くるしい存在。手をかけなければ育たないものへ自然と湧く愛着ならば小鳥を飼うのと変わらないだろうに。
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決まったことを後から知り、咀嚼のためにこうして書いている。すじばった木の枝を拾って、口にいれて噛んで出し、ぐずぐずと、指で潰して、嬰児のような欲求に身をまかせながら、このことを飲みこもうとしている。ひとひらの責任といったでしょう。それを、知らぬ間にあなたが培養して、振り翳すなんて。こちらへ来てしまったのだから、帰るところがない。
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遠巻きに眺めていたそれらを手のひらに収めて慈しむことしかできない。いまでは何のこだわりもなく手に入れて弄ぶことができるそれらを、まるでかつてはわたしのものだったかのように。あたかも自分自身が渦中にいたかのように。気持ちだけは確かに残る、かたちがあるものはなにひとつ残っていないのだからせめて— という瀬戸際の感傷をいつまでももっている、理由は、いつも何かに溺れていないと息ができないからだと、決して口にしない彼の顔を見ていたけれどやっぱりそんな気持ちになってしまった。
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松浦寿輝を勧められたのは年が明けてからだったろうか。なんとはなしに読んでいた昨日、引用されていた村木道彦の短歌に骨抜きになってしまって、それから今日。