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「コーヒー」と彼女が言うのを初めて聞いたのは京都に降りた早朝だった。安い夜行バスで凝り固まった頭蓋に聞き慣れない抑揚が響いたままひっかかるように残っていた。もしかしたら北の訛りかもしれないと思いを巡らせながら、ふたりとも縁のない土地で、生まれつきのように手垢がまみれたことばを垣間見た感覚は新鮮だった。紙コップ入りのブラックコーヒーはとても苦く、広い公園の眩しさに気持ちが追いつかなかった。
 
コーヒーに興味がなかった。全然なかったんだけど、あの日に初めて会った女の子が飲みたいって言うから散々酔っぱらったあとに飲んだらさあ、よかったんだよね。そんな話を聞いてから名残惜しい夜は喫茶店に誘うことにした。気持ちよく酔いがまわった頭の中に黒く重たい苦味が落ちてゆく。現実を確かめるように熱いコーヒーを啜ったところで、伝え聞いただけの女の子はぼやぼやした形をとり続けるままだった。心当たりの喫茶店がしまっていたから、小雨に気づかないふりをしてコンビニのインスタントコーヒを買ってもらって道端に座りこんで飲んだ。いつも大事そうな話ばかり遠回しに続けていたけれど、本当の話は避けたままだった。最後には本降りの雨が降って腕を濡らすからしかたないふりをして自転車をとばして帰った。
 
去年からの他人との距離はたとえるならシリコンのようにぶあつい弾力をもっている。やんわりと近づくことができてもしっかりと押し返せるし、押し返される。固い層に庇護されることは心地よく、安全な範囲を守りたいけれど、生のものにふれる感触が恋しい。驚くほど心と身体の距離が近くて一瞬区別がわからなくなるような、明け方と雨と蒸し暑さと、あの危うさを孕んだ接触が恋しい。こんな気持ちも失われた時代に包括されていつか葬られるのだろうか。