I Want More …And More

あたしは、恋人と夫を同じ呼び方で考える、あの人って言葉でね、おかしいわね、おかしくないけれど、あの人っていう言い方は、だって特別な人物を指してるわけではない、ようするに、ここにいない人のことだ、ここにいない人誰でものことだもの、それにあの人たちに共通点がないわけじゃない、考えるとぞっとするけど、共通点がないわけじゃない、その共通点のせいであの人たちを選んだわけではないと思うけど、そんなこと考えるのは不愉快だわ、あの人たちがあたしを選んだということに共通点のひとつがあるなんて考えるのは不愉快だ、

 
金井美恵子「ゆるやかな午後」

 

 

 
Fだけがいつまでも「あのひと」に変わらないのはきっと、Fの名前を呼ぶことが好きだったからだ。今まで関わった人の中でもっとも多く名前を呼んだのではないか—そう思うくらい、Fといたときは本人に向かって頻繁に名前を呼びかけていた。友人に近況の話をするときもFの名前を衒いなく口にしていたように思う。Fの名前を呼ぶごとに、Fのもつ特別な何かをほんの少しだけ所有できるような感覚があった。F本人は人に所有されることなど到底似つかわしくない人物だったが、だからこそほんのわずかでもFの要素を借りて着ることができると無邪気に嬉しかった。わたしはやはりFに憧れていたのだ。Fの名前を声に出したときの、軽くて固いようなこつりと響く質感が好きだった。Fが好きだったから名前を呼んでいたのか、Fの名前を呼ぶことの快さに惹かれてFを好きでいたのか。本当のところはどちらだったのかとふと考え始めてしまうが、今となってはどうだっていいことだ。