She's lost control.

頬杖をつく癖が直らない。最寄りのレンタルショップでDVD借りたらバーコードの上のところに油性ペンで書かれた「黒澤明」が二重線引かれて「成瀬」と訂正されていた。若い女が書いたような無邪気な字体だった。『女の中にいる他人』を観た。秘密っていうものは腹の底にしまったまま墓場まで持っていくものだ。その覚悟がないならはじめからつくるものではない。許されたい一心で何もかも懺悔して晴れ晴れするような人間をわたしは信用しない。トンネルの中で不貞と殺人を打ち明け、瞬間、汽車が前照灯を光らせて通り抜ける場面が非常に美しく、植田正治を彷彿とさせた。現実と夢の間にある一本の細い線? ジョイ・ディヴィジョンの黒いTシャツ着た男が向かいから歩いてきた。毎年夏が来るたびに何人見るかカウントしようと思うが勿論どうでもいいのですぐに忘れてしまう。ジョイ・ディヴィジョンなんて好きじゃない。サイレン消した救急車とすれ違った。脳がいくつかの可能性を提起して背筋が冷たくなった。世界で今まさに進行しているあらゆることを実際に見ていない。それでもあらゆることが起こっているのは知っている。わたしは救急車で運ばれたことがあるけれどその記憶は抜け落ちている。ここはどこですか。これは夢ですよね。そう口走ったことは覚えている。現実と夢の間に存在するたった一本の細い線を踏み越えられずにこちら側へ戻ってきてしまった。

知らない男に包丁差したらサラダ油撒いて殺したいと、そんなふうに思ったことないけれど、それでも復讐に近い気持ちを抱いたことがないと言い切れるだろうか。セックス好きなのに男が嫌いってなんで?と聞かれたことがあり、今でもその問いについて考えている。誰でもいいから傷つけたい、ひどい思いをさせても構わない、だって自分がそうされてきたのだからと正当化したことはなかったか。むしろ相手は傷つくべきだ、傷つけて屈服させたいと、思っているのではないか。受け入れてもらえなかったら逆上して当然? ロマンチック・ラブ・イデオロギーは競争と権力関係のフィールドとして機能する。その弊害としてのミソジニーが噴出してしまったのが例の事件であるように思う。彼がそのフィールドから脱して別の場所を持つことができていればよかったのに。異性と恋愛することだけが正しさじゃないのに。でもそうしないと社会的に認められなくなってしまう世界がある。年相応に、普通の恋愛をして、結婚して、子供を産んで仕事も続けなければいけないの? もうやりきれなくて、いつも誰かを傷つけることを想像しながら、そのときの準備をしながら暮らしている。このところ考えていたそういったことに向き合わざるを得なかった。幸せそうだからという理由でわたしたちを殺すなと声高に主張することはわたしには到底できない。
 
誰がわかってくれても、誰もわかってくれなくても、わたしの決断と行動には何ひとつ関係がない。何を捨てても、何を選ばなくても、その行為の結果はわたしだけに起こることであり誰も関係がないことなのだから。そういったことに一年かけて気づいたのだと思う。
 
「私ね、もともと辛子好きよ。チョコレエト玉なんかすきじゃない。太陽でもないやつを太陽とまちがって道よりしただけよ。半年だけ。私もうあなたの辛子をどぶに捨てない。私も辛子をたべて生きるの」
 —尾崎翠「途上にて」

 

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