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ここであなたのことを何度も書いていることに気づいているでしょう? もっともわたしが見ていたあなたもあなたが見ていたわたしも、それぞれが自分を映した虚像だったわけだから本当にあなたのことを書いているという自信はないけれど。自分を見ているような気分だから自分を守るのが最優先で、だから最初から今までずっと遠慮しているんでしょう。あなたのそういうところがクソなのよ。外国文学が女言葉で訳されるとささやかなショックを受けるとか言ってたわよね。女言葉は現実じゃないの。それをつかって書かれた内容がなんであろうと言葉の枠組みそのものが夢物語なの。だからわたしの話はすべて嘘なのよ、あなたに話してきたことも最初から全部嘘よ。
 
わたしが好きだったあなたはティーン向け文学と下手なロックが好きで、アイドルやメイクには近づかないようにしてたよね。Oasisだってよくわからないって言ってたわよね。映画を観ている間は座って集中していられないともいうあなたに『ジンジャーの朝〜さよなら、わたしが愛した世界』を勧めたことがあったわ、あのあとありふれた感想を送ってよこしてきたでしょう。一言も覚えていないわよ。それくらいつまんない感想だった。あのときわたしはあの子のやったことのせいで傷ついていたけど、あなたもあの子に対して違う気持ちで傷ついているのにむかついてた。わたしはあなたがこの映画を見れば傷つくだろうと思ったの。わたしが傷ついているのとまるっきり同じように傷つくだろうと—あるいはわたしの気持ちはあなたが一生懸けても理解できない類のものだと悟って絶望してくれればいいと思った。ひとりで勝手に傷ついているあなたを慰めるのが好きだったけど、あなたには死んでも理解されたくなかった。
 
あなたとセックスできたらどんなに楽だろうと思ったことが何度もある。ふたりとも人前では理性が働いてどんなに飲んでもしっかり振る舞えてしまえるから、だから今晩は限界まで飲もうねって言ってあなたの部屋でふたりきりで、床に座りこんでいい感じの音楽をかけて照明をつけて、前後がわからなくなるまで甘くて強いお酒をたくさん飲んだ。ファッション雑誌をめくってインスタグラムを眺めてあれがかわいいこれもかわいいって言って、周りの人の悪口を考えつくだけ並べてげらげら笑って、そんな夜には最後に抱きしめてキスしてしまえたらいいのにと思ってたわ。思うだけで指一本さわる気にはならなかった。京都に行ったときはぐちゃぐちゃに飲んでもちゃんと終電で帰ってきて、宿のダブルベッドで一緒に寝たけど1ミリもふれなかったでしょう。あなたの彼氏と3人で泊まった朝もあったね。そのときあなたは平気で着替えるから突然のキャミソール姿にどぎまぎしたけど、誓って言うわ、あなたとセックスしたいなんて一度も思ったことないのよ。それなのに、何度男と寝てもあなたといるときのように近くに感じた夜はないの。わたしたちどうしようもない喧嘩をしたことがあったでしょう、馬鹿な手紙よこしてきたわ。結局わたしが泣きながら電話かけて謝ったのよね、それはもう何倍も馬鹿みたいに。絶交していたときですらあなたのことが手に取るように近いと思ってた。
 
あなたが古くから知るひとと3人でバーに行ったら、あなたは明日早くから仕事だと言いながらウイスキーのロックを何杯も飲んで、挙げ句の果てに大泣きしちゃって、わたしに見せたことない気持ちを全部言っちゃったじゃない。こっちが泣きたいくらいむかついた。ぶつかるくらい大きな気持ちを衒いなく抱えて最後にはきちんと話せてしまうあなたがずるいと思った。まっすぐなきもちと素敵なものをたくさん知っているあなたが妬ましかった。色々な話をするようになって間もない頃に川上弘美が大好きだと言ったでしょう。あなたと別の場所に住むようになってからようやく読み始めてずいぶん集めたの、わたしの本棚をこんなに占めているって知らないよね。あなたの好きなものを好きって言いたくない。あなたが好きだった男の子をずっとあとになってから少しだけ好きになって、ものすごく悔しかったからわざと他の男に会うようにして忘れた。このこともあなたには言わないまま墓場まで持っていくつもり、ああ馬鹿って思った? 思ったならそう言えば。
 
あなたと散々悪口考え続けるのが好きだったの。側から見ればどうしようもない劣等感を感じてやきもきしてるあなたが好きだったの。あなたにちょっと嫉妬して、嫉妬されてるのもたまにわかっちゃって、それでも会いたかった。流行りものの話して、男と住むかどうか悩んでるあなたなんてクソほどつまんないのよ。あなたが彼氏の話する度にわたしは親身になって聞いたげて、さっさと別れなよって言うのを続けていたら、もうわたしに相談しなくなったわよね。もうわかってる、わたしたちには話すことなんてもうひとつもないのよ。とっくのとうに過ぎた誕生日、プレゼントが届くまでずっとバースデーよとふざけて連絡したでしょ。買ってあるけど贈らないわ。あなたに大人になってほしくない。私は世界を両手で粉々にすり潰し、それを見て微笑むあなたが見たい、ベイビー、ベイビー、ベイビー、なんて歌ってもあなたの好みじゃないでしょうけど、ああダーリン、あなたが普通になっちゃったらこの世界はちっとも面白くないのよ、つまんなくならないでよ、わたしを置いていかないで。
 
 
松浦理英子『裏ヴァージョン』の感想)