急に大きな出来事の中に放り込まれて立たされると、それまで連綿と考え続けてきたことが急に別の側面を見せ始めるというか、自分の中でパラダイムシフトが起こったような気になる。体験したことと体験していないことの間には多分どうしたって埋められない境界があるんだと思う。どちらが優位だとか言いたいわけではないけれどそのように思ってしまう。その境界に対してどこまでやるのかということが多分重要で、理解し続けようとすることと対話しようとすることがせめて誠実でいる方法なんじゃないかって思う。でも、相手がそれを望んでいない場合は?あるいはそのような姿勢が適していない環境にいる場合は? そういうことを考え続けて結局答えが出なかった去年だった。ただ、答えを出す過程には確かにいたと思う。だからその過程を続けるための今年にしたかったけれど、その一日目の昼下がりに今まででいちばんくらいの揺れを経験して、家族が無事でいるのかわからない数分間があり、津波と火事の映像を見ることしかできない時間や、あの人は無事だろうかと心配になる時間があり、何事もなく明日を過ごせるだろうかという不安がある。そのような時間を経てしまったら、それまでの考えに対して決定的な疑問を持たずにいられない。そのような疑問を飲み下そうとしながら今年も考え続けなければいけないのだろうと思うし、そのために覚えておくべきと思ったから書いておく。