さわること

人の身体の凹凸が好きで、例えば鎖骨や肩甲骨がくっきり浮き出したところを目の当たりにするとさわってみたり撫でたりしたくなる。外に出たときには、同じように木の幹や枝葉や花びらなんかにさわるのが好きだ。そしていつもどんなにさわっても何も満たされないことに気づく。人の肉が持つやわらかく弾力のある質感と、その中で脈打つあたたかさ、さらに奥にあるごつごつした骨の硬さまで確かめてみても。ひんやりした水気をもった花びらをどんなにさわっても。指の腹を当ててなぞっても、手のひらで撫でてみても、ためつすがめつ眺めてみても、舌をあててみても、満足しない。その先にいってみたいと思う。さわることのその先にある知覚が知りたい。

坂本龍一の追悼特集で上映されていた戦場のメリークリスマスを観た。赤い花を食いちぎるデヴィッド・ボウイが脳裏に焼き付いて、あの異様さは、さわることの延長にあるような気がした。ここぞという見せ場だったあの身を抛つようなキスシーンも、あれは肉体的な接触の欲求ではなくてもっと観念的なものだったと思うけれど。ある種の接触がなにもかも伝えてしまうことについてゆっくりと思い出す。

指に怪我をしたと聞いた。聞いてすぐに、傷口がぱっくりあいて鮮血があふれて止まらなくなる様子だとか、その上から押さえた白い布がみるみるうちに真っ赤に染まっていく様子だとかをありありと想像した。それから、塞がって少し盛り上がった傷跡や縫い跡の様子を。私の右膝には剃刀で切った傷跡があって、そこだけ少し白く生っぽい肌になっている。指でなぞると少し腫れぼったくて、感覚が弱い。それと同じようになったその人の指の傷の跡を想像した。たまらなくさわりたいと思った。その手をとって、手のひらの厚さや体温の高さあるいは冷たさ、爪の硬さを感じながら、傷を負った瞬間の痛さを想像しながら、新陳代謝を繰り返しながら治癒していく時間の経過を想像しながら、生白く走るやわらかい傷跡をさわってみたいと思った。

どうしてもさわりたいものについて。
あるいは怖くてさわれないものについて。

 

ecipslla.hatenablog.com

 

ecipslla.hatenablog.com

 

ecipslla.hatenablog.com

 

ecipslla.hatenablog.com

 

ecipslla.hatenablog.com

 

ecipslla.hatenablog.com

 

ecipslla.hatenablog.com