dekgf.

土の中にフォークが埋まっていた。突き刺すための鋭利な四股がうっすら砂埃をかぶって表面から覗いていた。そんなありふれた朝の不条理が寝ぼけ眼に飛びこんだ瞬間、砂浜に手を差しいれてぬくい砂をさらさらとゆっくりかき回す、すると突然ひんやりと恐ろしい金属のかたまりを探りあててしまった緊張が身のうちに起こった。あ、あ、この感覚は、と考えこんで昼間を過ごしきったところで、すげ代わった記憶は啄木によるものだったと解った。 いたく錆びしピストル出でぬ砂山の砂を指もて掘りてありしに。 砂にピストルが埋まっていたなんてきっと嘘で、啄木が触ったのは何の変哲もない石だったんでしょうね。でもそれをピストルと云ってしまうのが詩なんです。 期末には定年退職を迎えるという教授がぼそぼそと、しかしはっきりと壇上でそう話していたことも、紐で連なるように思い出した。
 
字面から得た触覚はなんて生々しい。幸田文を読めばたちまち感じっぽくておきゃんな生娘になり固い着物が肌に擦れるむずがゆさを覚える。佐藤弓生の短歌からは、蛾がランプシェードにぶつかるようにあなたのくちびると前歯が強く当たる衝撃を感じて目を見開いた。川上未映子は生卵を頭から浴びたときの、体液に包まれるような心地よいぬめりとべたつきを教えてくれた。本当は知らない感覚がきっと私の中にはたくさん埋まっている。自分でも何が由来かもうわからないほどの、私のものではない知覚がたくさん。
 
本当に触った記憶と読んで体験した知覚は確かに違う。彼に手を掴まれたことと砂の中からピストルを探りあてたこと。私の手に起こったこととそうではなかったこと。全然違うはずなのに、こうして書いていると違いなんてなくなっていくような、あったところでそんなことは大した問題ではなくて、すべてが本当ですべてが嘘のような気がしてくる。どこを生きているのかわからなくなる。あれは過去に起こったから現実だったなんてどうやって断言できる? 彼も同じ夢を見ていたのかもしれないし、いつか私が吹き込んだ作り話を信じているのかもしれない。砂に手をつっこんだら出てきたのが石ころでもフォークでもピストルでも、なんだっていい。信じても信じなくてもそんなことはどうでもいい。大事なのは目を瞑ったらぜんぶがそれになってしまうこと。
 
***
 
予約していたスーザン・ソンタグの日記を受け取った。こころは体につられて。 帰る途中で花屋に立ち寄り、地味な佇まいをした薄い水色の花を三輪買った。萼は長くつんつんと枝分かれており食用ハーブを思わせるような造形で、殆ど薄緑にも見える不健康な花びらの色は、生まれつきか、それとも日当たりが悪い温室で栽培されたのか。ニゲラというらしい、今まで知らなかった花だった。
 
幼い頃から花が好きだった。庭木や街路で花を咲かす灌木の名は大概が図鑑から得た知識だった。それがある一定の年齢からさっぱり新しい花の名前を覚えることができなくなったように思う。例えば沈丁花ライラックはまったく違う意味をもつのに、名前を知らない花は「その他の花」としてしか認識できない。意味の獲得にも限界があるのかと想像するとぞっとした。たどたどしくビニールに包まれた花になんとかして意味を付与すべく、ボウルに水を張って差しいれると茎を短く切った。久しぶりに取りだした白い花瓶にニゲラの水色はよく映えて、玄関にうすぼんやりと灯りが宿ったようだった。