会いたい人がいなくても

ゆうべはくたくたになって帰ってきたのに頭の奥深くにある固い芯みたいなところだけが冴えていた。14時間くらい眠っていた。当たり前に色んな花が咲き続けることにも慣れてきた。藤の花をたくさん見た。クレマチスの花が何輪も地面と並行に大きな花びらを広げてぶつかりあっていた。今はいたるところでアヤメの花が咲いている。紫色の花はなんだって綺麗だと思う。

フリオ・コルタサルを読んで、説明しないということが確固とした説明になるのだということを考える。技巧的だなあと思いつつ、先日読んだ別の作家のとても読めたものじゃない長編小説を思い出して、文学とはいったいなんなのか、とかも思う。アレハンドロ・サンブラは自分を離れていないというような文を読んだ。それが好きだったんだけどなあ。

結局は本当のことがいちばんおもしろい。

DVDを色々買った。ギャスパー・ノエのLOVEとかロウ・イエのパープルバタフライとか、デヴィッド・リンチブルーベルベットとか。気が滅入るようなやつをたくさん。観るつもりはなくてクローゼットに放りこんだ。自分よりものを知っている人と話すのは面白く、ただ、一定の年代の人と話すと、あるときを境にぱったりと音楽を追わなくなるのだな、とわかるときがある。なるほど、と思いながら、自分の20年後とかを想像してみる。

ヨラテンゴストロークスもヤーヤーヤーズもやっと聴いた新しいアルバムはめちゃくちゃよく、新しい音楽を追ったりしようと誓う。たとえ会いたい人がいなくても(会いたい人に会いたいと思える自分じゃなくても)、2023年を生きなくてはいけない。6月は映画を観たりしたい。マティスも観に行きたい。