どうしてもこってりした恋愛小説を読み漁りたいときがある。3年ぶりくらいにそうなっていて、レシートや使い終わった目薬やノートを破ったページが散らばる部屋で、床の冷たさを吸うように這いつくばって読んでいた。恋愛小説はジャンクフードと限りなく近い。なんの栄養にもならないように思うけれど、ダイレクトに脳を揺さぶる強い刺激がある。

恋愛あるいは人に抱く感情を扱った小説を読んでいると、自分自身の感情に自信がなくなってくる。誰かに対して何かしらの感情を抱いたとして、それはまったく自分自身のものというわけではなくて、すでに見た物語の欠片を寄せ集めて再現しているだけなんじゃないかと思う。オリジナルなんてどこにもないでしょ、と大森靖子が歌っていた。

ここまで書いて、何年も前に先輩に「小説を読む理由は、無意識下にあった自分の感情が言語で表現されている場面に立ち会えるから」と言ったことを思い出した。

卵が先か、鶏が先かという話に過ぎないのかもしれない。

 

恋愛小説で脳みそ溶かして気晴らししたいくらいに変わり映えしない生活を送っていて、だからといって前のように焦ったりすることもなくて、ただぼんやりしている。仕事はそのうち辞めようと思っている。相変わらずサッカーだけは見ている。最近になって旅行雑誌もめくったりしている。9月は吹田に行くと決めた。

ホンサンスの新作は長野で観ることにした。東京にいたときは渋谷や有楽町で観るのが定番だったけれど、ホンサンスの映画はこぢんまりした地方都市がしっくりくると思う。

街を歩いていたら、すれ違った男が着ているTシャツの、The Smithsと文字が書かれたその下にエルヴィス・プレスリーの顔写真がプリントされていて、そんなわけがない、と思って二度見したらやっぱりそんなわけはなくてモリッシーだった。何回も観たミステリー・トレインの中に「エルヴィスの顔は色んな人に似ている」というセリフがあったことを思い出して納得した。わたしは大谷翔平くんがエルヴィス・プレスリーに見えるときがある。そういうことを思いながら歩き続けていたら、その日はもう一度The SmithsのTシャツの男とすれ違った。ホンサンスみたいだな、と思った。

夏目漱石三四郎を読んで、あまりの面白さに愕然としたりした。上京した主人公が思う、三つの世界がある、というところなんかは、自分の考えたことがすでにそのままそっくり書かれていたのかと思って嫌になった。「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言ってにやりと笑う女は、ホンサンスの映画だ、と思った。