書こうと思っていたことはいくつかあったのにキーボードをたたき始めたらすべて吹き飛んでしまった。何も頭に入ってこないのに頭のなかを片付けることもできない。

たとえば白い彼岸花のことや、倉橋由美子が書いた積雪や柑橘について。再読したジュンパ・ラヒリと、岡本かの子について。誰もいない川沿いの道について。新調したニットと、久しぶりにかけたパーマと、菊地凛子が巻いていた青いマフラーについて。喫茶店の飴色になったテーブル。苦すぎるコーヒー。インゴルドのメッシュワーク。映像への不信感と過剰な期待。海に流れ込む川の表面。新潟に戻って10ヶ月が経った。

いつも以上に混乱しながら外を歩いていた。10ヶ月間わたしは何もしていなくて何も変わらなかったのだと思うようでいて、多分少しずつ、着実に変化がある。少しずつ本当に思っていることに気づいていて、今日突然身ぐるみ剥がされたようになってしまった。Fと初めて会ったときのことを思い出す。そのときと比較してしまう。そのときよりもずっと、昨日のことのほうが。あれから7年も経ってその間にわたしは多くのことを得すぎた。何も失わないままで何もかも飲み込むように、得ようとしすぎていた。読んだことや見たもの、したことの記憶を外套を脱ぐようにどこかに置いてこれたらいいのに。引っ越すたびにすっきりするような気持ちになっているくせに、いつまでも何もかも背負ってきてしまったことに後から気づく。忘れようとするよりもいつまでも忘れないと決意するほうが楽なのかと思う。わたしは多分あの子のことをずっと忘れられない。尾崎翠みたいに誰ともかかわらないでひとりで暮らせると豪語したくせに、まだ冬も始まらない。でもきっとそのうち新しいものが始まってしまう。何もかもをぼろ布のようにひきずった自分のままそこに身を投じていかなければならない。多分大丈夫だと自分に言い聞かせる。ぼろ布みたいな経験が自分をここまで連れてきたことは揺るぎようもない事実なのだから。