古井由吉が死んだ頃、ときどき歌舞伎町に行った。わたしは痩せていて、ひどく惨めだった。昼間は時計が止まっているのかと思うくらい退屈だった。髪を伸ばしてスカートを履き、人前でほとんど食べなかった。会ってすぐの他人に言われることをすべて信じきり、何もかもわけがわからなかった。出前の電話が鳴り続けていた中華料理屋や、時折ゴキブリが走るうす暗いバーカウンターや、Instagramのストーリー機能などを思い出す。ねばっこい会話にうんざりしてもそれなりに面白かった。どこまでやれるんだろうと思っていた。横たわったシーツの無機質なすべらかさや、ぎこちない会話と並行して進む身体の圧迫感に対して何も考えないようにしていた。家に帰ると服もコートも全部着たまま風呂場で動けなかった。人と会う中で、その時間を通して自分の中にある何かを預けていた。自覚がないまま無防備にその預託は進行する。相手がいなくなったときに、自分の中からごっそりと何かが抜け落ちていることに初めて気づき、それがもう戻ってこないことも知る。ひどく混乱しながら何も手立てを打てなかった。そういった日々がまだそれほど遠い過去ではない。