しなやかさ

とにかく寝てくださいね。寝れば大丈夫になりますから。そういわれてまだ明るいうちから寝ている。少し前にはひどい夢ばかり見ていたけれど、ここ数日は夢も見ないで昏昏と意識を暗くしている感じ。ベルリン・天使の詩を再生して聴きながら眠っていた。抑揚のないドイツ語は、わたしにとっては隣にいてくれるだけの優しい音。

 

たくさん眠ったあとは世界も自分も平坦になったような気がする。

 

あとほんの数日で29歳になるわけだけれど、眠るしかない夏になっている理由は多分色々あって、なんかつかれたなあもう無理かも、という感じはずっと前から持っていて、でももっと疲れてそうな人もいるしなあ、わたしは楽できてるほうだし、とも思うようにしていたのと、何より学生時代をめちゃくちゃに過ごしてめちゃくちゃに強制終了した(と思ってしまう)ことに引け目を感じていたので、ここでまっとうなキャリアを降りるわけにはいかない、と狭窄した考えにもなっていたのもある。文句をいう前にとにかくやればいい、余計なことは見ないと思ってそうしていたわけだけれど、自分のキャパみたいなものを過信しすぎていたような気もする。解がわかればあとはやるだけで、いくらでもなんでもできると思っていた。そんなわけにはいかない。

 

修士論文を書かずに大学院を中退したことをずっと引きずっている。その理由はその土地での人間関係だとか家族との関係だとか、今となっては忘れてしまったようなことだった。わたしはそのときも今の自分から逃れたくて、100年前の世界に晒されて世界を反映しながら生きている、どこにもいない女の人たちに陶酔していたのだ。何年かかってもどんなルートを選んででも書きたいことを書けるまで自分の研究に向き合うべきだった、続けていれば今頃どんな自分になっていただろう?と思いを巡らせてしまう。何度も考えて、でもそのとき選べる最善のルートで今の生活になったわけだから、今を続けるしかないのだと思うようにしていた。仕事をするようになってからよかったことだってたくさんある。学生時代では到底めぐりあうことのなかった音楽と映画と小説と短歌と絵画と写真、いろんなものを知った。考え方だって変わったし、たくさんの人に会って、あの頃よりも人をまっすぐ見られるようになった。それでも後悔を打ち消してくれるだけの何かが手に入らない。もはや現前していない状況が燦然と美しく輝いているだけで、ないものねだりだってわかっている。それでも背反した感情がどうしても無視できない。

 

いつか全部を納得させてくれる何かの到来をずっと待っていて、ロマンスの真似事みたいな遊びを繰り返す。この人との会話の中で自分が変わるかもって期待してる。答えが書いてるんじゃないかと思って小説を読んでは閉じて、映画を観続ける。いつか誰かがわたしを変えてくれるんじゃないかと思ってる。全部放り出して誰も知らないところに行ってしまえたらやり直せるだろうかと考える。でも待っているわたしのままじゃどこに行っても同じ。

 

生きのびるためにはしなやかさがきっと必要であなたはそれを持っている素敵な人。だから好きです。彼女の言葉はばらばらになりそうなわたしを繋ぎとめる。どこにいてもしなやかに暮らしてね。今はとりあえずその言葉を信じたい。わたしはもうちょっと眠ってから、もう一度この文章を読んで、それから生きのびる手段を考えることにする。