ひとりの人間のやることは、多少ともすべての人間のやることなのです。だからこそ、楽園でおかされたひとつの違反が人類を汚すのです。そして、また、ひとりのユダヤ人のはりつけがそれを救うに足りるということが不当ではなくなるのです。おそらくショーペンハウアーは正しいのです。つまり、ぼくはすべての他人であり、どんな男もすべての男、シェイクスピアはある意味で下劣なジョン・ヴィンセント・ムーンなのです。

ボルヘス「刀の形」『伝奇集』