こちらに越してきて一息ついた途端にどかどかと大雪が降り、今も降り続けている。朝、晴れ間を縫って外へ出たら真っ白な雪が視界のすべてをふかふかと覆っていて、数歩踏み出して見渡し、ただでさえ物慣れない土地の歩いてゆくべき道がわからなかった。消雪パイプから水がわきあがり、雪とまじりながらひたひたになる赤茶けた道路がなつかしく、それでも今すぐに雪を踏みわけながら歩いていかなければならなかった。一歩ずつを選びながら、雪や氷の上をずかずか進んで、こちらに居住を移したのだと実感がわいてきた。10年以上も離れていた生まれた土地に住むそのことは消雪パイプの水のように半分懐かしく、もう半分は真しく物珍しい生活として次々と降りかかり、乗りこなしていく楽さがある。東京で歩き続けた乾いた道路への恋しさはあっというに心からどかされたように思った。



 川沿いの大通りから一本奥まった白いアパートの3階にある部屋で暮らし始めた。雪は外廊下や階段をすべて埋め尽くし、部屋でじっとしていると要塞に籠もっているよう。キッチンからベランダに繋がる掃き出し窓からは、家並みや灰色にくすんだ空がよく見える。近くには鉄工場があり、昼夜を問わず白い煙がたなびいている。じゃっと勢いよく音を立ててレースのカーテンを開き、その煙を眺める。ちらつく雪が寒々しいせいか、ずいぶん熱そうに見える。

 寝室の窓から眺めれば民家が建ち並ぶ。雪囲いを施された松の木や瓦屋根には、外套の中綿のように均衡な厚さの雪が載っている。人ひとり歩いていない。しんと静まりかえった街を眺めると、このまっしろな城にたったひとりで住んでいるとでもいうような、お伽噺めいた心持ちになってくる。雪は音を吸ってしまう。窓をあけて半分顔を出すと、ぼてっとした大粒の雪が髪の毛にまとわりつく。髪に吸いつく雪をじっと見ていると、尖った細かな結晶がふわふわと集まっている。さいころは真っ白な雪をたくさん掬って食べたかった。雪の核になっているのは埃や汚染物質なのだから、食べてはいけないといわれていた。

 髪に雪をいっぱいつけながら見下ろすと、すぐ真向かいに古びた一軒家がある。破れた障子とくたびれたカーテンが見える。足跡はひとつもなく、生活の動きを読みとることができない。庭に木が生えていて、真っ白に降り積もった雪の中に、葉の濃い緑と、柚子の実の橙が垣間見える。窓枠に積もった雪を掬って、両手の中に硬くおしこめる。球になったそれを、右腕をふりかぶって勢いよく投げる。ぶつかると木が揺れてわさわさと雪が落ち、隠れていた柚子の橙色がさらに見えてくる。もう一度、二度、窓枠の雪がなくなるまで雪玉をつくって投げ込む。重たい音を立てながら雪が落ちてゆき、木の緑や橙が鮮やかに目にとびこむ。悪いことをしている気分になる。大きな彫刻に石をぶつけて壊しているよう。街は静かなまま。窓をしめてしばらくしたら、窓枠にはまたすぐに雪が積もった。木に成った柚子の橙色は、白く覆われて隠された。雪がとけたら、あの大ぶりの柚子を黙って捥いできたいと思った。