Tehillim

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この曲で行われていることとはひとつのおおきな構成物を解体したのちの素材に新たな側面を見出し編集すること、そしてその行為が脱構築(ミーハーで便利な言葉!『愛がなんだ』を観て以来に言った)といえるだろうか? ひとつの方向に巻きとられながら断片的な想起を繰り返すことは、ささやかに抗いを示すようでいて結局その大きな流れを構成しているにすぎなかったのだ、とはっきりと気づき自己を省みた。Ⅳの途中からはじめのリズムとメロディに戻ったように感じるのだけれど最早序盤のそれらでは決してなくて、曲の進行を序盤からその時点まで「経験して記憶した」ものが立ち現れており—経過する時間と記憶とはそういうものなのだろう。記憶されてしまったら二度とそれが起こる前には戻らない—つまり「編集」といったがそれは編んでひとつの体系をつくること。構築を脱したからといって、破壊された断片を寄せ集めてまとめるだけではない。なぜそれをつくるのか?なにを考えてそれをつくるのか?という視点、そういったことが主題と呼ばれるのかもしれない。単なる流れへの抵抗とは一線を画すのがきっとそのような視点なのだろう(一定数のフェミニズム的言論が男性社会の再生産にすぎないと批判されたり自分も同様に感じることもあるが、もしかしたらそれらのベースが反論・抵抗だからなのかもしれない)。