砂糖

上野駅公園口はすっかり小綺麗なつくりになっていて見知らぬ駅のようだった。広い出口を出て、人が閑散と立っていて上野公園へと続く道を見渡せば、左手の歩道橋は変わらない、あの歩道橋の階段を誰かと登って歩いたことがある、その事実が突然に大きなものとして眼前に迫り来る、だから何だというわけではないけれど、思い出すまでも至らない生煮えの記憶、その熱量に立ち尽くしてしまう。渋谷のハチ公口で人を探すのだって何度めかわからない。きっと私だけじゃない経験を、繰り返しなぞるように。記憶が都市に点在している、森を彷徨ってお菓子の家に辿り着いたお伽噺の兄妹のように、絶えず記憶の断片をふりまいて落としながら東京に暮らしている、拾ったそれはかつての自分のものだろうか、それとも、何十年も使い古された見知らぬ誰かのもの? 

幼い頃は流行性感冒で寝込むと決まって悪夢を見ていた。大きくて冷え切った恐ろしい機械が聳えていて、柔らかくて可愛らしく儚いものが虐げられている。あの弱い存在が押し潰されてしまう、守らなければならない、早くしなければ。切羽詰まった混乱の中で目覚めて、泣きそうになりながら、心配してやってきた父に「砂糖はどこ?」と尋ねた。なぜ砂糖といったのかわからないけれど、その瞬間の私にとって砂糖とは救い出すべき儚いものだった、混乱しながら、差し迫る危機を父に説明したかったのに、私は伝えるための語彙を何一つ持たなかった。父は困惑するばかりで、言葉にならない思考が私の中にちゃんと存在するのに、その思考を私以外の人がに見える形にすることができない。存在するものをないものにされることが悲しくて啜り泣いた。他愛ない寝言の話だと笑い飛ばされることが許せなかった。こうして書くことは当時の私の慰めになるのだろうか?

あの人は三日三晩私のベッドにいて、家から出て行った、その次の夜にも高熱が出た。あの人が無事でいるのかわからないことがたまらなく不安だった。あの人がひとりぼっちでいる、私が側にいてあげないとあの人はとんでもない結果になってしまう、心の底からそう思って取り乱していた。大丈夫だからと宥めて体温計とみかんを持って小松菜の煮浸しをつくっていった人がいた。当時はみんなきっと何かの形でお母さんを欲していた、色々な形で母の役割を演じたり、演じてもらったりした、奇妙な共同体だった、もう過ぎたこと、何もかも終わったこと、本当に馬鹿げていた、笑い飛ばしてしまえるのに、今だって原体験のように思い出してしまう。一種の呪いのように。一度戻らないと先に進めないような気がずっとしてしまう。馬鹿げた思い込み、そんな暇はない、世界はもっと広い、前に進まなきゃ、人生は短いから、いつまでも若くはいられないから。気持ちだけが広くて果てしなく、焦るのに、執拗に思い出し続けている。