義務的な文字の交換だけで顔も声も知らない、というような人たちとのやりとりが増えていて、なんとも思っていなかったけれど、ちょっとしたきっかけでその人の暮らしを垣間見るような出来事があった。この6年間、と書かれていた。その年月をどのような気持ちで過ごしてきたのだろう。吸い込んだ孤独で肺がいっぱいになっていまにも溺れそうな文章だった。そういうところへ考えなしに入っていけば、散々な目にあうかもしれない。けれどやっぱりそういうものが気になってしょうがない。その人にとってみればわたしだって声も顔もわからない、文字だけが浮かび上がって存在するだけの他人。このような位置だからこそ見える、その人の輪郭や影というものがある。目をそらせばなかったことにできるものを拾うことにも意味があるのかもしれない。こう書いていて気づいたけれど、信じられないことに、平日は生身の人間を見かけることすらない生活が続いている。