風景

久しぶりに会ったのにしばらくすると話すこともなくなってしまって、いや、わたしは話したいことも聞きたいこともたくさんあるのにさ、隣に座ったあの人はうつむいてiPhone触ってばっかり、時折ぼそぼそと何かを呟くけれど全然聞こえないよ。お茶も苦くてぬるくなったし、がっかりして、つんのめるような気持ちになって、それでも苛立つ気力すらなくて、窓の外を行き交う人たちをぼんやり眺めていた。そうしたらあの日のことを思い出して、ねえわたしね、この間渋谷歩いてたら、男の人に声かけられた、前髪をジェルでがちがちに固めて胸板が厚くって、ネイビーのチェックのツーピースにびしっとネクタイ締めた男、その男は文庫本くらいに小さくて真っ白いジュエリーショップの紙袋を、それだけを手に持ってた。歩くわたしに声かけてきた、わたしは男の視線とこちらへ向けられた意識をひしひしと横目で感じながら、気づかないふりをして歩き続けた、そうしたらその男は左側に伸びる横断歩道を渡っていって、後ろ姿をずっと目で追っているとついには見えなくなってしまった。そうしたら突然あの男が携えたジュエリーの存在がぐらぐらに混乱し始める、ジュエリーを贈る相手がいる男が見知らぬ女に声をかけるはずはない、高価なジュエリーは見知らぬ女に手渡すようなものじゃない、ならどうして。どうしてジュエリーだけを持ってわたしに声をかけたの? あの男があの瞬間にわたしに何を求めたのかわからない。知らない者どうしだったのに、あのとき男はわたしに声をかけて、何の意味を見出したかった? あの男がどこへ行ったのかわからない。あの紙袋が誰の手に渡ったのかわからない。あのジュエリーがなんのために存在していたのかわからない。見知らぬ者は都市と一体化した動く風景としてわたしの視界の中でさざめくだけ。それなのに、他人が他人でなくなる瞬間がやって来てしまって、わたしはすごく怖い、関係が生じたらその人のことがとたんに理解できない存在としてわたしの中に放り込まれる。あの不可解な白い紙袋のように、わたしとの間に関係が生まれてしまった人は不可解だ、その人の中には必ずわたしにはわからない黒いものが広がっている。そのことが、ときどき、叫び出したいくらい怖くなるんだよ。まくしたてるように、思いつくままに喋ったけれど、あの人の顔をまっすぐ見れなかった、あの人はやっぱりまるで興味がなさそうに、ふうんと言っただけ。