ラヴ・ストリームスを観た日はにっちもさっちもいかなくなっていて本当は布団から出たくないし寒いのか暑いのかわかんないし空を見ても晴れてるのかわかんなくてそのうち雨が降り始めたし、靴が濡れることや洗濯物の心配をしながらいろんなことを決めたり選んだりするのができなくて、ビニール傘の65センチと70センチのどっちを買うかも決められなくて途方に暮れていろんな検査を受けて、ほつれたセーターを直しに行った先にいた真っ黒い髪の毛を綺麗に伸ばした女の子の爪が透ける紫色でとっても可愛くて詰め合わせのお菓子に入っている甘ったるいグミみたいな色だった。ジーナ・ローランズの演技は今まで観た映画の中でいちばん狂っていた。次々と家に連れ込まれる犬や馬や鶏の表情が愛らしくて馬鹿げていて、吹きつける雨の中でその動物たちを甲斐甲斐しく世話するジョン・カサヴェテスも相当に狂っていた。カサヴェテスの映画を観ると、『こわれゆく女』を観たときもそうだったけれど、年月を重ねることへの期待みたいなものが少しだけできるというか、いや決して希望とか明るい気持ちがわいてくるわけではないんだけど、今抱えていて何もかも投げ出したくなっているような物事をもう少し年月が経ってから俯瞰して見てみたいものだなあ、という気持ちになる。たとえばもう10年経った時に20歳のときのことや今のことをもう一度思い出してみたいなと思う。前向きに受け止められるわけでもないしかといって忘れ去るわけにもいかないことばかりだし失敗を糧にしていくとかもできないし未だに人に言われることを全部真に受けて頭がおかしくなりそうだし、でもまあそういうことも年月が経てば今より少し先のほうにある気持ちで思い出せたりするのかもしれない。わたしにはあんなに気が狂った弟はいないしいてほしくもないし、これからもっと気が狂いそうなことが十分に起こり得るし、本当に孤独で頭がおかしくなる前にあんなふうに会いに行ける人がいるかもよくわからないけど、やっかいなことや面倒なことを過ごしていく経過というものをどのような形であれやってみたいなと思う。名前も覚えていなかったのに手足が長くて邪魔になると笑っていたことと抱きすくめられたときの息苦しさや、絡みつく爪先と指が妙に冷たかったことを覚えていた。