たったひとりの戦争

野方が好きで、好きっていうか、用事はないのに商店街のあたりを歩いたり喫茶店で煙草の煙を浴びたりするのが好き。いつか野方に住んでみたいと思ってたけど、もうここに住めることはないんだろうなあ、帰り道に紺色と橙のグラデーションになっている境目を見ながらそのように思ったらまあまあ寂しいような気持ちになってきて、そういえば夏に観たギヨーム・ブラックの映画よかったな、とかとりとめもなく思い出す。東京から田舎に越そうと思ったのはギヨーム・ブラックを観てしばらく経ったころだったんだけど、それから今日まで毎日毎日決めなきゃなんないあらゆることがありすぎて、東京を出ていくことを決めつつある過程が延々と続いているという感じ。こんなふうに何か決めてから気持ちを固めていくことは初めてだったから決断ってこんなに有機的でいいのかな?って思ったりする。というか今まで決めてきたことが無機的?すぎた?決断は有機体でも無機体でもないはずなんだけどこんなふうによくわからないことをつらつら考えながら、一体この決定しつつある日々はいつまで続くんだろう。来月のその日に家をからっぽにして不動産のおねえさんに鍵を引き渡して、大きな鞄を背負ったら東京駅をせかせか歩いていって新幹線に乗り込んで、それでも多分終わらないよなって気がする。だってどこに住んだところで何も終わらないし変わらない。でも野方に住む可能性がなくなることはやっぱり寂しくて、東京のコインランドリーの匂いや煙草の匂いが好きだったから、その暮らしが終わってしまう、決断するたびにありえたかもしれない未来がひとつずつなくなっていく、ということを考えて、そのしゃぼんみたいに消えていく可能性の追悼がこれなんだと思うけど、ひとりで決めていくことはとても怖くて寂しくて、ひとりでいることの自由を手放したくない。これを書いたら今日の夕方にしんみりしたことは忘れて、決断の過程に戻る。

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