生活は自分の匂いがしみついたものが身の回りを取り囲むことによって形づくられていったのだと思う。それらのものを片っ端から放り込んで封をした段ボールが積み上がってゆくと、もういたたまれなくなって日中は文庫本だけ持って喫茶店で頬杖をついて時間をつぶしていた。そんなふうにずるずると最後の日を迎えた。冷たい床に横たわれば、がらんどうの部屋に音がよく響いて乾いた余韻だけ残った。

この数日間はにこにこ笑いながらものすごい勢いで感情がくるくると回転し続けていた。ひとつのことを終わらせて転換させる過程に過ぎないのだと自分に言い聞かせながら、ひとりではとても乗り切れないと机に突っ伏したりもした。

ずっと前にもらった手紙を読んだ。その手紙には、書き手が私と居た時間のことや、その時間を通してその人の目に見えていた私のことが、ぎゅっと詰めこまれたメリーゴーラウンドのような言葉できらきらと書き綴られている。その文章は今起こっているこの転機によって粉々に霧散しそうな私をつなぎ止めるようだった。そして同時に、読めば読むほど、手紙の中に書かれた「私」が人格を持ち、勝手に歩き出してゆきそうだった。


その手紙が持つ怖いくらいの熱量と、私にもたらした何かについてずっと考えているけれど、考えれば考えるほど頭の中には靄がかかって言葉にすることができない。誰かと長い年月を過ごしてその人のことを真剣に考えて言葉で伝えることを今まで喉から手が出るほど希求していたのに、ずっと逃げ回ってきたからかもしれない。これほどの言葉を受け取りながらそれに見合うような熱量を持ったことがなかった(このように書いている時点で、与えられた時点が初めて行動の起点になっている―という自分の姿勢が嫌になるけれど)。あるいはつまらない保身に走り、誰かを真剣に見ることを避けていた。いずれにしても私にとっては考えたくないことで、いつも周辺に立ち現れる事象ばかりぼんやりと考えを巡らすだけ。

そんなふうに自分の非について考えはじめてしまうけれど、手紙に書かれた女の子は「それでもいいじゃん」とか言って、ぱっと向こうを向いたらかろやかに歩いてどこかへ行っちゃうんだと思う。多分。そこまで思わせてくれるのがこの手紙のパワーであり、だからいつまでも新しい謎を秘めたままでいるんだろう。私はきっとしばらくはこの手紙の書き手に会わないだろう。