ガールフレンドイズベター

Sから大晦日のストップメイキングセンスに誘われたけど断ってしまった。Sに話したいことがいくつかあった。Sは多分結構気を遣ってくれている。大概そのときにはすぐにわからなくて、後で思い出して気づく。

薄暗い部屋で点滴打たれながらチェット・ベイカー聴いていた。頭蓋骨に直接響くような不思議な声。熱があって複雑で、平坦だけど立体的で。どうしたらこんな声が出せるんだろう。イーサン・ホークチェット・ベイカーを演じた映画を観たことがあった。歯が零れるように欠け落ちて血塗れになっていたトランペット。今はもうない渋谷の映画館でブラインド・マッサージと二本立てで観て、終わって外に出たら全部の音がうるさくて倒れそうだった。

よくわからない時間の進み方に翻弄されて今年が終わっていく。毎日飛ぶように時間が過ぎていったのにとてつもなく長い一年だった。どこに行ったらいいのかわからないことが怖くなって、途中で腹を括って目的地をひとつに決めたつもりでいて、その縛られた道中でも結局息が苦しくなった。今月は寝込んで仕事を休んでばかりいた。行くところがわからないのは怖いけれど、決められた道しか進めないのもすごく怖い。今年やったことが全部意味を為さなかったら浮かばれないけれど、まあそうなっても仕方ないかなとも思う。

新しい年に対する前向きな気持ちも正直そんなになくて、明日になったら全部リセット、明後日からまた365日をやってかなきゃなんないと思うとくらくらしてしまう。ただ一年が終わるってだけでとりあえず終わらせられるのはすごくいい。一回終わりにしてみよう。無条件でやり直すチャンス。現実は映画じゃないから、終わるってことは強制的に次のことが始まることだから、終わりには希望がある。いつもそういうふうに、そのときどきでやっつけの暮らしをして、ひとつの期間が終わったら/あるいは終わらせたら全部捨てて次に行く、そういう暮らしをしてきたように思うけど、やっつけで暮らすのももういい加減にしなきゃなとも思うし、でも続けることってものすごく怖いし、この人に会えるのあと何回まで?って計算して自分でぞっとしちゃってたし、ちょっと何書いてるのかよくわかんないけど。このブログも一年以上続いてしまって怖くなってきている。まだやめない。終わらせることができるのはあと何回までなんだろう?何も終わらせることができなくなって、続けるしかなくなってしまったら、逃げる場所がひとつもなくなったらどうしよう。トーキング・ヘッズで一番好きなのはファーストアルバム、赤いやつね、あれ聴いてたらそういうの忘れられていいんですけど。まあどうでもいっか。今年が終わっても状況は変わらないかもしれないけど、今まで拘泥してたよくわからないしがらみを忘れるきっかけにできるし、まあそうなったらいいかなって、思うと幾分ましな気もするけど。