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肩やその上のあたりに多少の浮遊感をもった。随分と久しい知覚のようだった。
見上げると丸い街灯がみっつ並んでいて、電笠のざらつきが仔細に見えた。
こうなったときはぐんなりと心地よく世界が歪むけれど、
例えばもうしばらくあの店に留まったとすれば、すべてが鋭敏に差し向かってくることを思い出した。
 
18の頃から今日まで逼迫した問題を抱えるでもなく、それでも淵のほとりにいることは変わらない。
安穏と変化なく歳を重ねていくようで時にはめまぐるしく立ち替わる人間関係について。
しびれるくらいに憧れた人や場所と、受け入れたくなくて強がってつっぱねたこと。
大事にしていたものと、もう必要ではないこと。幾許かの後悔について。
これから待ち受けるであろう膨大な感情のゆらぎまで思えば気が遠くなるけれど、
掴んで離すやり方を少しは覚えることができただろうか。
 
縋りついて握りしめてアイデンティティを保つ糧にしていたのは泣きたくなるほど本当だし、あんなに酷いことをやらなければよかったと思うし、また落ち込んで泣いてしまうかもしれない。
傷ついたり傷つけることに無自覚にならなくちゃやってこれなかったけれど、どうやったらかなしくなるかもうよく知ってる。
わたしはたぶん結局何にもなれなくて、わけのわからない時間だってたくさん過ぎてゆくけどそれでもいいんだ。
 
***
 
わたしは祖母を看取れなかった。できたのにそうしなかった。
無論誰も責める人はいなかったが、誰にも言えない蟠りが鉛のように幅を占めている。
昨日『東京物語』を観てほんの少しだけその気持ちが凪いだ。不朽の名作に心を慰められるなんて所詮は自己愛か。
祖母の墓参りにだって数えるほども行けていない。
何度も何度も考えている。今更結論なんて求めていないし最早祖母の気持ちなどわからない。
それでいてわたしは、彼女の形見を十分すぎるほど貰ったのだ。
何らかの答えが出ないまま甘い蜜も泥水も飲み干して生きていかなければならない。