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自分の身体の周囲に円状の境界が張ってあり、その内側にある言葉や物事しか扱ってはならないような感覚が幼い頃からあった。興味を持ってはいけない対象や言及が許されない出来事が境界の外にぼんやりと立ち現れてはおもむろに消えてゆく。クラスメイトやボーイフレンドや側にいる弟までもが、朧な亡霊の姿を見事に手中に収め飼い慣らし、自分の手で新たに形作る様は不可思議だった。激しい妬ましさを覚えたがその嫉妬すら境界の外側に置かれた。10代のいつ頃からだろうか、この認知の問題を自覚し始めていたが、自分の状態を把握する行為もやはり向こう側に置かれていたため、うすぼんやりと見て見ぬふりをし続けた。やがて境界の外側から予期せぬものが投げ込まれるようになり、その穴から覗けば世界がクリアに見えることを知った。外の世界は色あざやかで、大きく震え、予想どおりにならず、わたしを脅かす。自分の規則で扱えない存在は怖い。今でも曇った眼鏡をかけて解像度の低い世界を見続けている。このような名付け得ぬ世界との隔たりについて、立ち位置を改めながら、使う言葉を変えながら、毎日のように考えている。この先いつか未だ触れ得ぬものとの邂逅が叶うものだろうか。そのときは初めて知る感情が湧き起こるだろうか。懐かしさを伴うだろうか。何か旧知の物事を思い出すのだろうか。

—2020/05/18

 

 
 
手首を差し出すと、係員が専用の機械をかざして覗き込み一瞬ののちにさっと顔を曇らせる。彼はそのままこちらの目を見て、私が望み通りその建物に入ることはできない旨を事務的な口調で告げる。しばらくすると車がやってきて、どこへ行くのかと問う隙もないまま後部座席に引きずりこまれる。走る車はいつの間にかけたたましくサイレンを鳴らし始め、全身を白い防護服で固めた人が私の身体を寝台に横たえ、くまなく診察する。そのまま殴られたように眠り込み、つっと記憶が途切れる。
 
といった想像が、検温を終え一縷の安堵を得た瞬間にひっそりと頭の片隅をよぎるときがある。しかし今日、外気に晒された手首は頑なに冷え切っていたようでやむなく前髪をまくりあげた。見ず知らずの男にだらしなく額を差し出す様はさぞ滑稽だろうと思ったが、不思議と不快感はなく、目を瞑ったまま作業の流れに身を預けていた。
 
***
 
ゆるやかに、しかしたゆまずに変化が身のうちに起こっている。過去の記憶の詳細が不意に再生される一瞬がある。安心のうちに固めてきた自己の表皮がはがれ落ち、未知の組織が形成される。ひと月前に好んでいたような行為ができなくなった。厭わしく思っていた感情が無視できないほどさざめいている。ざわざわした恐怖が身をかけめぐり、こんなに恐ろしいことが起こると知っていたならばずっとひとりでいたのにと、半年前の残滓が声をあげる。一連の混乱に対処しきれずに、ぼうっと眺めながら今これを書いている。あたたかく気化したアルコールのせいだと言い訳しながら。
 
他者は常に自己の外側におくべきものであると強く言い聞かせてバランスがとれていたし、今でもそう思っていることに変わりはないのだけど、やはりというか案外というか、その境界は簡単にゆらいでしまうのだなと思う。このゆらぎについては、全然成長していないじゃないのと断言するには乱暴すぎるし、もう少し気長に観察してみたい。
 
決めない方法を教えてくれた漫画(みんなが大好きな、東京とNYの恋人をめぐるあれ)が完結してしまったのはふた月前だった。なんにも自分で決めないままぼやぼやしたゾーンに招き入れてくれる姿が魅力的だったあのひとが答えを出してしまった、それを読んだら一週間くらい落ち込んで、でも私はまだしばらく決めないままでいいやとあっさり楽観的に決め込んでしまったのだった。そのふた月前からも随分と変わってしまったことにこのあいだ気がついた。
 
まだ本質的なことを書ききれていない。なんで酔った頭を抱えてくどくどと文字にしなければいけないのかというと、一度は否定した正しさへふたたび向かうような心の動きに戸惑っているから。変わることはなんにも悪いことではないけれど、そうなったから成長しただとか、正しくなったというふうには決して思いたくないのだ。 だけれども。
 
 
来年はどんなことを思うのだろうか。その前に来週と、そして再来週はどんなふうなんだろう。わからないけれど、わかってしまったら面白くはないか。