自分は片方の親の血を引いていないんだ、と淡々と笑いながら話していた。女受けするだろうなあ、みんなにこの話するのかしら、と思ったけど、つい緩んじゃって、わたしもね、と出生にまつわる蟠りをぽろっと口に出したら、その人はこう言った。
「日本人てなんでそうナイーブなの? 学校も行けて仕事も就けるのにみんな自殺したがるよね。嫌になったらフィリピンにでも日本語学校建てて一人で暮らしたらいいじゃん」
端正な顔立ちに冷たさをにじませて、ダザイの影響かな?と笑っていたのが、鼻についた。
「あのね、日本って島国でしょ、ひとつの人種が集まってるから輪を乱さないことが大事なの、儒教の影響で上下関係とか家父長制も強いじゃん、みんな逃げ場がないと思っちゃって、だから自殺するんだよ」
わたしはくそまじめに、弁解とも説明ともつかないようなふわふわした見解を並べ立てた。わたしだって、死ぬことをとっておきのお守りみたいに大事にして甘い絶望に浸っていたことがあったから、その言い訳みたいに。主語を強引に大きくして希死念慮を語ってみると、自分の深い内部にしまっておいたとっておきのお守りがぐるんと表面に浮き出して、世界にぶちこまれて並べられていくような奇妙な気分になって、なんだかしらけてしまったのだった。
その人と会ったころによく聴いていた曲がある。道を歩きながら、くらいね、くらいね、性格がくらいね、と繰り返されるその曲をリピートして聴いた。みんないい人、あんたいい人、いつもいい人、どうでもいい人。今宵限りでお別れしましょう。見飽きた奴等にゃおさらばするのさ。そんなふうに突き放されたらたまらない気持ちになる。それなのに、日本人てくらいね、性格がくらいね、でも? そのあとには何が続くんだろう?
捨て鉢で、諦めていて、ものすごいエネルギーに満ちていて、その熱量が方々に向かって、死にも生にも飛散している。何度聴いても不思議な曲だと思い、何度も聴いてしまう。せこく生きてちょうだい、と陽気に口ずさんで、くそまじめにせこく生きるかあ、と思ったりもする。日本人てくらいね。ほんとかな? でも、性格くらくても別によくない?