春の澱

また前みたいに会えて嬉しいわ、そう言ってあの子はきらきら零れるように笑ってた。あの子が私の側を離れた日、知らない電車に飛び乗って広いお城に着いたけど、落ち葉を踏みしめる自分の足音に驚いて動けない。あっという間に夜が来て、あたしは繰り返し再生する、突きとばす夏と歓待の冬、川底を浚って見つけた春の澱。まだ知らない季節があたしを組み敷いてお腹からあたたかな熱を取り出して、ひらひらと傷をつけていく。真っ赤な水の中で何人もあたしを通り過ぎる。仮面をつけた背の高い人たちが笑いながらあたしの中をとおりすぎる。重たいマントを剥いでむき出しになった白い肌、柔らかく伸縮したらあくびして、砂糖菓子を握りしめればべとべとに残る昨日。夜を見渡せば一面に、ふやけた鉛が転がって、灼けつく砂が流れてる、目の中で海がふるえてる。翡翠色をしたあの子の海で孵化する蜂が怖かった。あの子の顔が歪んでる、泣き出しそうに眉をひそめて、わずかに口を開けて、そのときが合図だと教わった。ピンヒールが脱げて落ちてゆく、息を止めたら三つ数えて、廊下を走って通り抜けて、河原の石が積まれる前に音を立てないでさあ早く。息を切らして振り向けばあたしがいた場所はワンルームの狭い独房。赤いカーテンのかかった部屋の中でしくしく泣いてる男の子。足下に転がる銃弾ひとつ、放り投げれば粉々に打ち砕かれる暗い夜。あの子がいるのは昏く尖った破片の中。夜の破片は言葉だから。ひとつ残らずかき集めて、覗きこんだら破片の裏にあの子が見える、言葉の向こうにあの子がいるの、あたしはそう信じてじっとりと吸いつくひとひらを口に放り込み、どくどく煮えたぎる血の味をいっぱいに含んで恍惚としながらあなたにくちづける。