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従弟の現実の不在は、生身であったはずの、私の知る彼自身の映像を私から遠ざけたばかりでなく、逆に彼がこの日誌のなかにことごとくその姿を現し現前することによって、私をして私の友であった少年の見知らぬ影を足で踏みつけているような気分にさせ、彼自信をあれよあれよという間に茫洋とした誰でもない輩へと変えるのであった。この輩は来歴を持たなかった。そしてそればかりでなく、彼の不在、彼がもうどこにもいないという諦念自体が、雲をつかむように次第に抽象的なものへと変化し、今度は記憶の覚束なさもろとも、この抽象的不在を前にした私自身をさらにつかみどころのない曖昧模糊としたものに即座に変えたのである。
 
—鈴木創士『うつせみ』

書くことと欺くことが等号で結ばれるときに完成する真実があるのだな、と思った。それは作中の言葉を借りれば裏の裏が別の表として立ち現れるときだろうか。