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他者に対して何かを伝えるということは、何を伝えないかを選択し続けることであり、自分の認識すべてを伝えるということは不可能であると知ることであり、自分の認識のうちどの部分を/どの範囲までを伝えたいのか線引きをし続ける作業であり、初めて自分の認識に自分以外の世界/他者が介入するきっかけである。他者には何についてどの範囲まで知ってほしいのか、何を伝えて何を伝えなければ伝えたいことが伝えたい状態に限りなく近いまま伝わるのか、そういったことに注意を巡らせながら伝える。そのような手順を経て自分の認識に介入してくる他者の視点/思考は他者の視点/思考そのものではなく、自分の認識の範囲内で思いを巡らせた時点で「内在化された他者の視点/思考」と化すことを忘れてはならない。つまり他者の視点/思考をそれそのものとして認識することは不可能であり、また前述のとおり自分の認識をそれそのものとして他者へ伝えることは不可能である。よって自分の認識と他者の認識が完全に一致することは決してない。伝えるということは、自分と他者の不一致を確かめ続けることである。
 
つまりあなたが傷つくのは、この言葉にこめられた怒りにではなく、彼が“もう永遠に戻ってきてはならない”ということを意味する言葉を、文字どおりの意味で言うつもりがないのに、その言葉を文字どおりの意味で言えるのはその言葉だけなのに、選ぶという、その事実になのだ。
 
リディア・デイヴィス「出ていけ」『ほとんど記憶のない女』