THE DEPTHS

男娼の悲哀うつくし よるべなく道路は低き横浜の夜

終点の駅のトイレで吐いていた模造の麗人知らずにいた頃

死してなお生は完成しないのだとザジフィルムズトリコロールは

しあわせな吹雪みたいに落ちていた海より青いキャメルの箱が

幼子の嬌声疎む人乗せて列車に刻めり1000

カフカに似てる人

生活が光る団地は重たくてひらめく怒りで進んでいきたい

 

私から離れていって 鳩の首、iPhoneに伸びる指の関節

 

ずれていく身体を留めておく鋲はカフカに少しだけ似てる人

 

言葉じゃない言葉はあるの? ねむらない人の瞳があたしは怖い

 

建物は中から壊す 夕方の再放送を黙って見ていた

2022/4/26 AM8:06

曇った空の下満員電車にぎゅうぎゅう自分を押し込んでじっと目を閉じてニューオーダー聴いていたら臀部に硬く勃起したペニスが押し付けられた感覚があり、うわ勘弁して、と真っ先に思っていやでもこれがペニスだと決めつけるには早すぎないか?例えば何か別の、なんだろう、と考えを巡らすも、この柔らかい硬さは有機物の、生き物の固さだ。踵を少し後ろにずらして探りあてた足の甲を思い切り踏みつけると押し当てられる強さは弱まったが質量は変わらない。足をもう一度踏んでやりたいが遠のいた。ペニスの持ち主は何をどう思ってそれを勃起させて私の尻に押し付けているのか知る由もないが、私は今とんでもなく不快に思っていて、でも声を上げることはだるい、こんなにたくさんの人に囲まれた中で注目を浴びることの方が嫌だ。次の選択肢としてそのペニスを後ろ手で掴んで思い切り握りつぶすか、または振り返ってペニスの持ち主の顔を睨みつけて脳裏に焼き付けるか。どちらもしなかった。手で掴むということは私がそのものに触れるという行為を自ら選ぶことだし、見てしまえば見ることを選んだことになる。どちらも選択する自信がなかった。そして見ることは今知覚しているペニスという物質をその人自身の認識に変換させることだし、見ることは見られることで、私自身が認識されてしまうことだ。考えると恐ろしかった。
 
接触の暴力性について。選択によって負う責任について。認識による世界の変換について。
 
満員電車に乗る時は自動的に人を人と思わないようにしているのだと気づいた。パーソナルスペースに他人が入ってくることや身体中に他人の身体が接触するのは不快だ。だからいつも自分の身体も他人の身体も意思を持たない物体なのだと認識を切り替えている。その箱の中身には人それぞれの生活や意思や感情が入っているけれど、電車の中では、身体という箱と中身の感情は切り離されたものだ。だから腕や足が触れたところでなんてことはないけれど、勃起したペニスというものは身体と一体化した欲望が表出された器官だと感じる。そしてその欲望が無作為に予告なしに私の身体に押し当てられるのは暴力そのものだ。私の身体が感情の容れ物にすぎない時間であっても、私の身体は私のものだ。顔も知らない誰かは同じく私の顔も知らず、私を記号として認識して欲望の対象に選んだ。私の身体は私の意志と無関係に記号として扱われていい存在ではない。
 
欲望に基づいて個の侵害が行使されたならそれは暴力だ。
 
私が自分可愛さに声をあげなかったことと、この出来事を興味深く観察して解明したくて今書いていることと、自分が鬱屈する欲望の捌け口として性行為を行なっていたことと、暴力に基づく接触が許されないことは、すべて別の問題であり、すべて私が感じているのだからひとつひとつの繋がりが矛盾していてもしかたがない。それぞれが存在してしまっているのだから。暴力の行使は許されないけれど、被った私が何を思って何を考えてどう行動するかは私の自由だ。
 
暴力的な器官を持っている人、その暴力性を私に対して行使した人を、私は少し可哀想に思う。
 
私はファルスによる暴力性という透明な構造に嫌悪感を感じたけれど、男性器を持つ人間を全員憎んでいるというわけではない。ただこのような構造に自覚的ではない言動が垣間見えたり自分に及んでしまったと感じたならば、構造への嫌悪と個人への嫌悪が混ざり合ってしまうこともあり、それは自分では制御できない心の動きなのだ。そのような理屈ではどうしようもない心の動きも私が感じてしまえば抑圧することはできない。
 
矛盾した感情が自分の中にいくつも存在することはつらい。それらをひとつひとつ言語化することもつらい。でも、何を思っているのかわからないまま「細かいことは気にしないで」暮らしていくのは一番つらいし、そのような「前向きに生きるために取るべき行動」とも言うべきか、見えない考え方の規範のようなものが自分の中に根付いていることがとてもつらい。せめて書いておくことが自分のためだと思っている。こんなものを読んだ人は私のことを嫌いになるかもしれない。でも、知ったことか。

無題

新潮のコロナ禍日記リレーの号が図書館のレンタル落ちになっていたからもらってきて紫色をしたお湯に浸かりながらぱらぱら読んで坂本慎太郎の夜型のお手本みたいな生活に感心していたけれどふと我に帰って、しっかりしなくちゃな、とひとりごちて、しっかり、一体何がどうなったらしっかりしてちゃんとした人間になれるんだろう。ちゃんとしなさいというのは死んだ祖母の口癖だった。祖母が死んで私はちゃんとしようとすることをやめてしまった、やめようとしている、やめたいと思いながら電車に揺られてる。朝に考えることと夜に考えることは全然違う。歩きながら考えることと家でじっとしながら考えることも違う。一人の人間のありようとして正しくないような気がずっとしていて統一された人間になりたいと思っていたけれどもう自分を決めるのはやめだ。夜は気持ちがばらばらになるのをそのまんま見てるだけ。いつかの明るい昼間、ガラス張りの綺麗な場所に座って向かい合った人から「昔ひどいことをしてしまった相手に謝りたいと思ってるの」と打ち明けられた。そのときの私には「謝りたい」が「許されたい」に聞こえてさっと心が粟立ち「時間が経った今その人が謝罪を求めているかなんてわからないでしょう」と返した。こうして思い返せば、その人が許されたいかどうかということと相手にすまないと思っていてその気持ちを伝えたいということは直結しないのであり、あんなに刺々しいことを言う前にその人の話をもっと聞くべきだったのだ、と思うけれどなんであのときあんなふうに言ったのかって私が謝るときっていつも許されたいからだった。ひどいことをして謝った相手なんて思い出せるのは彼女ひとりだけだ。記憶について考えることに飽き飽きしている。思い出すという行為は今起こっていることであり、回想の中で過去の事象は現在を創造するために使われて、それで終わり。思い出したところで過去に起こった事象はもう変わらない。どういうふうに思い出してみてもやり直せるわけじゃない。わかるでしょ。真夜中のスクリーンで見たアンナ・カリーナに憧れていたし口元を拭うジーン・セバーグになれたらどんなにいいだろうと思っていたけれど私は私以外の誰かになれない。私は過去を巻き戻してやり直すことができないし自己を誰かと交換することもできない。今を引き受けてやってかなくちゃならない。

Funk #49

仕事の夢と、猫の夢を見て起きた。ジェームス・ギャング聴きながらいつもと逆方向の山手線。

いつかの夏の朝、市ヶ谷の住宅街をふらふら歩いていて、通りすがったごみ収集車の助手席に乗った男の人を見た。その人は車の窓を開け放して肘をかけて、作業着の袖を捲って首元は着崩して、大きく口を開けて楽しそうに笑っていた。くっきりした黒目の奥には、どこかままならない暮らしやその中での刹那的な愉しさと、屈託なく他人に向けてきた愛情のようなものをはっきり宿していて、わたしは山田詠美の小説を読んだときの感じを思い出した。その人は薄まった藍色の空に星が弱く光るころに家を出て昼過ぎに帰る。一緒に住む女の子は綺麗なワンピースに着替えてお化粧を施せば夕方から仕事に出ていくんだ。わたしは目的地に向かうふりをしながら、収集車を追った。かろやかにごみ袋を拾って車に投げ込んでいくその人の腕と腰、楽しげに動く口の動きをずっと見ていたかった。

夜の渋谷を抜けて、千駄ヶ谷まで行くと交差点の隣にある小学校には、子供たちが手をつないで輪になる絵がかかっている。その絵を見るといつもアンリ・マティスのダンスを思い出す。違うのは、小学校の子供たちは全員がしっかりと手をつないで円を完成させているけれど、マティスのダンスでは指先がふれあうようでふれあわない隙間があること。円環は始まりと終わりが繋がればそれがそのものとして完結する。閉じなければずっと、世界を取り込みながら、自らの存在を吐き出しながら、いつまでも生成し続ける。完成しない螺旋。記憶の循環。始まりと終わりを永遠に繰り返すこと。歩きながら巡らせる思考はいつまでも形をとらずに流動しながら道を通り過ぎていつか消えてしまう。

不確定なことばかりの中を泳ぐように暮らしている。「気がする」という文末を多用している気がする。その人にはもう会わない気がする。でもあの人にはまた会うような気がする。あの部屋にもまたいつか行く気がしている。わたしの気がする根拠は何? ただ単に底に溜まった記憶がさざめきながらわきあがって、そんな気がしているだけなのだろうか。それは本当に、ただの記憶の回想であり過去の反復にすぎないのだと片付けられる感覚なのだろうか。この先々の決定だってその裏のどこかには少しでも過去の記憶が作用している。わたしはわたしがこれまで生きていた時間の堆積をなかったことにはできないのだから。何を捨ててみたところである時点ですべて仕切り直しというわけにはいかないとわかっている。だからあの人にはまた会うような気がしてしまう。だけど世界は知り得ないものばかりで、未知のものが絶えず放り込まれる今の中を泳げば新しい記憶が降り積もっていって、いつのまにかそんな気はしなくなる。SのこともYのことも彼女のことも思い出さなくなった。全部が不確実だ。

嘔吐、盥、瞼、受難

夢見が悪い朝は決まって貧血を起こして目の奥が真っ暗になりながらやっとの思いでベッドから起き出すのだけれどその日一日は咀嚼しても上がってくる繊維質のような夢の残骸がぐずぐずと胃の中に残って気持ちが悪い。夢の中でわたしは誰もいない教室の隅に立ち、窓から見える真っ青な空をぐんぐんと吸い込むように膨らむカーテンを眺めながらゆっくりと喉の奥に指を差し入れ、舌の奥のざらつきや収縮する喉奥を指の腹でなぞったのちに数回指を曲げて嘔吐を試みながら目の端から涙を流していた。

暗い浴室で赤く染まった盥を覗きこむ。服についた血は丹念に揉み洗いをしなければならなくて、真っ白い洗剤の泡と真っ赤な血が入り混じって透明な水に流されて消えてなくなっていくのを見ているとまるで儀式めいたような行為にも思えてくる。鼻孔の奥で洗剤の清潔な匂いとつんとつく鉄の匂いが混じり合いながらだんだんと意識の奥底に棲みついていくようだった。清らかさに怯えるように執拗に布をこすり続ければ手の皮膚が瞬く間にかさついていくのがわかる。喉の奥にはまだ圧迫感があった。口を開けば嗚咽が漏れそうだったから奥歯を強く噛みしめた。

その人が立ち上がり歩きだすまでうつむいていたら、鈍く光るまで丁寧に磨かれた靴の動きばかりが目についてまるで物珍しい生き物に見えた。その人がこちらに背を向けて歩き出せば靴底の背に桜の花びらが貼りついていた。満開の桜並木をちらりと見上げることもせず瞬時に朽ち始める花びらを踏みしめながら足早に通り過ぎて来たのだろうか。想像するとどうしようもなく寂しくて心臓が軋むようだった。せわしないその人の足音をやがて喧噪がかき消すまで下を向いていた。桜の花弁は瞼の裏側の色をしているとふと思った。

濱口竜介のPASSIONを観た。それはとんでもなく面白くて見たことのないことばかりが起こって2時間ずっと胸がどきどきしていた。人と人が関わる中で立ち現れる事象をひとつひとつ解明するように、今まで行ったことのない領域をめくるめく見せてくれるその過程はひたすらに言葉と言葉の応酬と視線のやりとり。意思と行動と感情は全部ばらばらに違うものでいながら一緒くたになって自分の身体の中に存在している。自分の中にあるばらばらのそれらが何らかの形で他人に対して発現されたならそれは他人にとっての受難。自分が被った受難は他人の意思や感情や欲望に基づく行為だった。私が行為してきたことはどのような形で誰かの受難になったのだろうか。そして私が受難した行為の裏にはどのようなその人のいきさつがあった? 知ろうとしていたようでわからないままにしていたのは自分を手放せなかったからだ。自分を受容することは、同時にしがみついていた自分を手放すことでもあり、そうしたら他人をちゃんと見られるようになるのかもしれない。あと少しでわかりそうなのにあと少しだけがわからなくて、だからずっとしがみついて捨てられないでいる、そういう自分を一度手放せば胸のつかえもなくなって目の前の人を見られるようになるだろうか。

零度

(前に書いてたやつ)

突然サイレンがけたたましく鳴り響いてあなたのことを思い出したのです。あなたは最後にその綺麗な指でコーヒーに角砂糖を落としてスプーンでかきまぜてひと口啜ると淀みなく立ち上がりあたしに背を向けて、それきりでしたね。

あなたの首元には幾つかのほくろがあってあたしは正三角形に整列した3つのそれらを眺めながら世界の理について考えるのが好きでした。あの頃のあたしたちは錠剤とスコッチを毎日浴びるように飲み続けてまるで明日が来る方がおかしいんだと言わんばかりでした。あなたはいつもふざけた猫みたいな目をして硝子のようにひんやりとかがやく言葉をあたしに囁きましたね。あたしは何と応えたらいいのかわからなくて、あなたの視線が絡まるのが怖くって、だから窓の外を眺める癖がついてしまって、そうしたら途端に眠くなってベッドに倒れこむものだから、するとあなたは、—

クリスマスにあなたが買ってきてくれた薄桃色のスリップを覚えていますか。あたしはあんなに馬鹿げたレースがあしらわれたものはちっとも欲しくなかったから一晩中泣き喚いて、あたしが投げた赤ワインのボトルが粉々になって、誂えたばかりだったあなたの紺色のスーツとあたしのお気に入りだったクリーム色の置き時計がだめになってしまいましたね。壁に残ったワインの染みが月面の模様のようで素敵だったけれど朝になれば悪臭を放つものだからあたしたちはうんざりしつつも一生懸命ブラシをかけたのでした。あなたはその澄んだ瞳の下にあざやかな隈をつくってまるで老いぼれのかあいらしいむく犬のようで、あたしは可笑しくって大笑いして、そのあとにあなたの洋服を全部燃やしてしまいました。あなたはベランダで声を殺して泣いていてその涙はとても神聖なものに見えました。

あんなにも退屈で腐敗しきった日々がなぜだか恋しいのです。あたしがこんなことを考えていると知ったら今でもあなたはしずかに笑って煙草に火をつけるのでしょうか。左胸のポケットから薔薇色のガラムを取り出して、ひとさし指でそっと箱の底を叩いて一本取り出して、ていねいにマッチを擦って。

こんなふうに嘘を書くことがたまらなく甘美であると教えてくれたのはあなただけでした。

どうか元気で。